第4回 コンピューターミュージックのミュージシャン達は ステージでいったい 何をしているのか。

石井 こういったデバイスがあれば、
従来とは違った
コミュニケーションが可能になります。

ここにありますのは、
オーディオパッドというシステムです。



コンピューターミュージックを
演奏するためのものなんですが、
マイクロフォンを表現するオブジェクトを
それぞれの音源に近づけることによって、
音量や音質を変えたりする
しくみになっています。

コンピューターミュージックで
悩ましいことは、
「何が起こっているのかが
 わからない」

ということなんですよ。

例えば、そろばんだったら
何も隠れてないんで、
演算してるプロセスが
すべてわかりますね?
しかしコンピューターは、
中はブラックボックスですから、
どういうふうに
計算してるかまったくわかんない。
マイクロスコープがあっても、
ふつうは理解できないです。

ですから、コンピューターの
ブラックボックス化じゃなく、
コンピューターの中で起きている処理を
グラフィカルに表現して、
なおかつ身体で動かすことによって
操作することをめざしたわけです。

どういうメカニズムで
いま何が起きてるか、
ミュージシャンの動きによって
何がどう音に変わったかを
観客がとらえることができます。


糸井 ふるまいが見えるんですね。
石井 ええ。ジャズのコンサートに行くと、
鍛えたミュージシャンが
ドラムやベースの
アコースティックインストゥルメントと
インタラクションしている、
その結果、音が聞こえてくる。
この関係がはっきりしています。
糸井 うん。
石井 しかし、コンピューターミュージックの場合、
ステージを遠くから見てると、ミュージシャンは
ノートブックコンピューター持ち込んで、
eBayで買い物してるのかもしんない。
もしかしたら、全部あらかじめ
録音してたのかもわかんない。
糸井 ははははは。
石井 「これだけがんばって音を生み出した」
というプロセスを
見えるようにしたいんです。
糸井さんのお書きになった、
できあがったコピーだけ読んでも
どれだけご苦労されたかは
ほんとうにはわからないわけです。

ぼくは、花巻の宮沢賢治記念館で
宮沢賢治の
「永訣の朝」の肉筆原稿を見ました。
書いては消し、書いては消しした
苦労のプロセスが
そこには全部キャプチャーされていました。
糸井 先生の研究は、
プロセスは全部見せるということが
大切な要素になっている。
つまり、時間が入っているわけですね。
石井 ぼくはデザインや
クリエーションをサポートしたいので、
そのプロセスが見えたり
操作できたりすることは
とても大切なんです。
糸井 プロセスが残っていると、
あとでもう一度、
創作の理由が追求できますね。
おそらく先生は
「上書き」という発想は、
お嫌いなんでしょう。
石井 あ、上書きも大好きです。
上書き大好き。


糸井 大好きなんですか(笑)。
石井 MITに来る前、
ぼくはNTTにいました。
もう20年ぐらい前になりますが、
そのときにやった研究が
自分の原点になっています。

元同僚の小林稔氏と一緒に考案したのは、
ふたつの離れたところにいる人が
透明なガラス板に
共同で絵を描くことができる
クリアボードというシステムです。
まさにオーバーレイで、
人の描いたものの上に描いていくことができます。
まるで相手が水森亜土さんみたいに
なったように見えるというもので。
一同 (笑)
石井 リモートで遠くにいる人の顔も、
そのドローイングも、見えます。
絵や文字を書いているときに
相手がどこを見ているか、目線もわかる。


糸井 ああ、目線は大事ですね。
石井 お互いに重ねあわせて
上書きしていく結果が
どんどんクリアボードに
残っていきます。
糸井 さっきの「コロコロ電話」に
とてもよく似てますね。


石井 似てますね。
コロコロに比べれば、
これはまだある意味で、
ビジュアル中心としているんですが。
糸井 いままで
行間とか字間と言われていたものが、
先生の中で、
表現できるものとして、
扱われているような気がします。
石井 ええ。
結果だけを見ても伝わらないけど、
プロセスが伝われば‥‥特に、
書道の場合なんか大事ですけど、
そこを共有化します。
糸井 上書きになっていても、
過去のものが残ってる。
石井 残ってます。
プロセスを破壊せずに、
尊重しながら
アノテーションするわけです。

身体の動きというのは、例えば
マーシャルアーツでもコリオグラフィーでも
プロセスをいかに
キャプチャーするかということが
必要になってくる。
糸井 たしかに、踊りには
その考えは向いてそうですねぇ。
石井 あとは楽器なんかも、
プレイする前に必ず身体が動きますでしょう?
糸井 ‥‥そういえば、中国の書道教室って
子どもが小さい頃から英才教育するんですが、
どうも体操ばっかりするらしいですね。
石井 あ、ほんとに?
糸井 うん。
「何がしたいか」ということはすべて
結局筋肉で、実行するわけですから。
石井 たしかに書道もある意味では
ダンスみたいなもんで、
筆と紙で‥‥格闘技ですもんね。

最後に、卓球台のところへ行きましょう。
ぼくにとってあの卓球台が、原点なんです。
十数年前、ここに来てはじめて
作ったものですから。
もしよかったら少しプレイしますか。


糸井 まぁ、してもいいんですけど、
勝負になんないと思います(笑)。
石井 そんな、お客さまには、
ぼくはとてもやさしいですよ。
マイラケット持って来るので、
ちょっと待ってください。


糸井 ‥‥何をどう言っても出してきますね。
一同 (笑)
糸井 石井先生は、お会いしたほうが、
ずーっとおもしろいです。
石井 やっぱり「生」でないとね。


糸井 ときどき、先生が
デジタルの聖者みたいに
扱われてるんで。
石井 いえ、ぜんぜん逆です。
糸井 逆ですね。
石井 要するに、我々はいったん
振り子を振り過ぎたんですよ。
そこから、デジタリティーと
我々のフィジカリティーを
いかにリバランスするか、です。

ですからぼくは
二重国籍みたいなもんでしょう。
デジタルの世界の住人でありながら
フィジカルの世界にいる。
それが、要するにタンジブルです。


糸井 線の上に住んでる人ですね。
いままではデジタル側からばっかり
語られてきたんですね。
石井 そう。それが問題なんです。
この部屋には
かざぐるまをいくつか飾っていますが、
これにはデータの流れを反映させています。
たとえば、メディアラボ全体のEメールが
多かったら、
あのかざぐるまが速く回ったりします。

これは、ニューヨークの証券取引所で、
株価がすごく上がったり
トランザクションがいっぱいあるときに回る、
というようにも使われました。
データを変えればいろんなものに使えます。
糸井さんのホームページの
アクセスが増えると回る、
という設定もできます。

ここで大事なのは、
こうして話をしてても
風が吹いてることや
かざぐるまが回っていることは
気配で感じられるということです。

けれどもいまは、あらゆる情報が
小さなスクリーンから
やってきます。
たとえば、iPhoneなどの
スマートフォン。
一所懸命見なきゃならない。
なぜかというと、これは
あまりにも多くのことができるから。
糸井 目からの情報で
あらゆることがやってくる。
石井 はい。ジェネラル・パーパス(汎用)なんです。
しかし、時間が知りたければ、
時計を見るだけでいいわけです。

ぼくの腕時計は、
温度計でもなく、湿度計でもないので、
ブートしなくていいし、
メニューを選ばなくていい。
このシンプリシティを
いかに取り戻すかということが
ぼくらのテーマでもあります。

例えば、あちらにあるライト。



天気予報、花粉の量、交通量、温度、
いろんなデータが
あのライトに飛んできて表示されます。
この色でもって、遠くからちらっと見ても
いまどんな状況かがわかるようになっています。
いわゆる周辺視です。
一所懸命見て、一所懸命集中しなくても
気配でわかる。
糸井 なるほど。



(つづきます。ふたりのおしゃべりを動画でどうぞ)


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2011-05-16-MON

HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN