Yeah!Yeah!Yeah!
マイクロソフトの
古川会長がやってきた。

6

いよいよ、古川さん「電気屋のおじさん」になる!
今回、話している最中に、
なにやらごそごそ取り出してきて・・・。
こういうところが、新しい企業のリーダーの身軽さ。
動きながら経営している人々って感じがするのだ。
黒塗りの車の後部座席で、運動不足を嘆いているような、
テレビドラマによくでてくる社長像ってのは、
もう、徹底的に過去のものになりつつあるんだよねぇ。


糸井 アップルが宗教になってしまって、
「透けてれば好きだ」という人もいっぱいいますよね。
ウインドウズで、「俺は大好き」っていう人の意見を、
僕は聞いたことがないんです。
「ほぼ日」に、以前、
「ウインドウズを使っている人で、
 『俺は、愛してる!』という人の意見を求める」
って書いたら、1通だけ、返事が来ました。
その1通っていうのは、
「Gatewayで、『牛』だったんで好きだ」(笑)。
古川 それは、なんというか……(笑)。
糸井 「箱や何かが牛だったんで、なんだか妙に可愛くなって、
 今まで批判してた『透けてりゃいいのかよ』という
 気持ちがちょっとわかった」
って書いてあった(笑)。
古川 Gatewayもね、もともとの会社の成り立ちっていうのが、
「ええ話や……」
っていうものなんですよ。
糸井 おお、聞きましょう、聞きましょう!
古川 すべてのハイテク産業は、カリフォルニアだったり
シリコン・バレーに象徴されるような場所で、
スマートな人たちが、ハイテク産業の中から
ベンチャー企業として成功させて
成り立ってきているわけです。
Gatewayはそれとまったく正反対で、
アイオワのものすごい田舎なんですよ。
隣の家まで12キロ。
そこの工場に行ったらね、牛のフンの匂いしかしない。
目がしびれるほどに(笑)。
糸井 (笑)。
古川 その町にはレストラン、1軒しかないんです。
それも、ステーキしか食わせないような。
糸井 牛のみ!
古川 中学卒業しようが高校卒業しようが、牧童になるしかない!
っていう土地なんですね。
でね、Gatewayの創立者は、お父ちゃんから
「この代を継げ」
って言われて、
「このまま牛飼いになるのかなあ……」
って思ったんです。畜産業から逃げたかった。
そこには、サイロと、肉の処理工場がある。
「ここに、世界から部品を集めれば、
 パソコン工場がつくれるかもしれない」
って考えたんですね。
牧場主を継ぐのがいやで、お父ちゃんからもらった
倉庫の中に、台湾だとか韓国だとか香港から
仕入れた部品をならべて……。
糸井 ええ話や!
古川 ねじ止めする(組み立てる)工場をつくったんです。
糸井 ……いいなあ、いいなあ……!
古川 そして「ブランド」をつくるとき、
周りを見渡してみて、いちばんシンボリックに、
そこらじゅうを歩いているアイデンティティというのが、
「牛」だった。だから、
マークはこれで行こう、となったんです。
「全世界どこにいても新しい企業を始められて、
 それで財をなす」
っていうことは、ありえるんだ、
という一つのケースをつくったわけですね。
今まではアメリカ西海岸、もしくは東海岸にいる
非常にスノッブな人がやっていたことだったものを、
それ以外に、そういうこともアリか、
という事例をつくったのは、非常にいいことなんですよ。
糸井 ぼくは、ほぼ日を使って、調査的なことの手伝いを
読者にしてもらっているんだけれど、
無意識が欲しがっているものっていうのは、
アンケートをとってもなかなか出てこないですね。
日本の人口の65%が今、情報産業・
サービス産業であると言われますね。そうすると、
A社に勤めている人がB社の消費者であり、
B社に勤めている人がC社の消費者であり……
これがグルグル回っている。
一日の中で、カチャカチャとチャンネルを変えるように、
みんなが送り手の気持ちと受け手の気持ちを
切り替えているわけです。
ところが「勤めている私」となったときには、
急に、自分がほかの会社の消費者であることを
忘れちゃうんです。
ここに、無数の水子が生まれている、って思ったんですよ。
ただ文句言う人になっちゃうんですね。
たとえば、牛乳なら牛乳で、1本飲みきれない人は、
「なんで少なくしてくれないの!」
って短絡的に言っちゃうわけですよ。
足りないと思う人は、
「なんで多くしてくれないの!」。
それ、永遠に意見を出し合っててもしょうがないわけで、
自分がつくっているときの気持ちをもった消費者になって、
「なんで多くならないんだろう」
「なんで少なくならないんだろう」
と考えてくれるだけで、
次の牛乳のヒントが出るかもしれない。
今までは、それが使われているところの時間軸だけで
商品構造がとらえられてきたけれども、
使う前後のことも考えなくちゃいけないですね。
古川 うんうん。
糸井 この間もちょっとお話したけれど、
ユーミンのコンサート、という話があるんです。
清水ミチコさんがよくギャグを言うんだけれど、
「チケットを買うところから
 コンサートは始まっているのよ」(笑)。
チケットを買うために並ぶところから、
すでにコンサート始まっているんだと。
さらに言うと、コンサートのあと、
「ね、いいでしょ!?」
っていうところもまだコンサートなんですよね。
その長い時間軸のなかで、商品をどう位置づけていくか、
というときに、消費者として感想をもつことと、
作り手であえることが、わからなくなっちゃう瞬間が、
ものすごくたくさんあるんです。
古川 それから、複数の作り手が勝手に寄せ集めて来た
その瞬間に、本来持っていた意図と全く別の効果を
生んでしまう、ということがありますよね。
家電のリモコンにしても、やっぱり5つや6つ、
ころがっていますからね。
そのなかの別のリモコンを持って一所懸命操作して、
焦るということも多いし。
そうなったときに、なんでこんなたくさんのリモコンが
必要なんだろうな、ということでね。
糸井 万能リモコンを商品化した人を知っているんだけれど、
セッティングがすごく難しかった(笑)。
古川 ひとつのデバイスに全部学習させて、
それで押しボタンをたくさん、という方向に
行っちゃうんですよね。
ぼくらがいま取ろうとしているアプローチは、
どんなものが接続されるかわからないから、
その画面メニューはホームページの記述言語である
HTMLで作ってください、というものなんです。
ホームページをナビゲーションするような形で、
リンク先のボタンと全く同じように
画面上のボタンを押すと、一定の説明と動作をして、
そこには赤外線の発光器がついている。
糸井 はあ……!
古川 基本的には手元にあるリモコンはまったく同じで、
ホームページをながめるような感覚で、
画面上に必要な説明が出てきてそこで操作すると、
赤外線の発光器がピカピカっと光って、
近くにある家電製品に信号を送って制御するんです。
糸井 それ、商品化するんですか?
古川 ここに持ってきています。
糸井 冗談でしょう?(笑)
古川 いや、ホント。
糸井 ……楽しそうじゃないですか!
古川さん、必ずブツをもってくるのが可笑しいね。
古川 これがね、その赤外線を飛ばす機械なんです。
これをオーディオ装置だとか、ビデオデッキのそばに
置いておくと、ここがピカピカッと光る。
いまはまだソフトがすべてのビデオデッキには
対応してないんだけれど、
これから先に出てくるソフトで自動的に更新したなかでは、
画面に、番組表が出てきますよね。
「今日、この順番でテレビを見る」
とボタンを押しておくと、自然にそのチャンネルが
切り替わっていく。
「録画する」
というボタンを押しておくと、その時間になると
機械がチカッと光り、ビデオデッキを操作して、
録画をスタートさせる。
糸井さんでも、持ってるビデオデッキは
きっと3種類か4種類あると思うんです。
そのリモコンの使い方を全部覚えているかっていうと、
覚えきれないでしょう。
ところが、どんなデッキでも、同じように
画面に出てくる番組表を見て、
同じ操作で予約録画ができたらどうか。
糸井 それはWebTVに対応するんですか、今は?
古川 WebTVの中でメニューを出して、そこから
あらゆる電気製品に対して赤外線で
リモートコントロールさせてやろう、
というアプローチの1回目が、
ビデオデッキの操作なんです。
糸井 それは、マイクロソフトの仕事なんですか?
古川 う〜〜ん……それは、難しい、ですよねえ……(笑)。
糸井 ちょっと不思議な感じがしたんですけれど(笑)。
古川 製品としては松下とか、そういうところから
出るわけなんですけれどね。
糸井 古川さんが「好き」ってことでやってるんですか。
古川 それに近いかもしれない(笑)。
秘書 古川はWebTVの会長でもあるので……。
糸井 あ、そういうことなども、あって。
秘書 WebTVは、マイクロソフトの子会社なんですよ。
糸井 なるほど! そういうことだったんですか。
すると、今、とても情熱的に語っているのは、
そのことがあってのことですね。
古川 (笑)僕ら、テレビの子だから、
『パパは何でも知っている』だとか、
「8823海底人……」だとか……。
糸井 ハヤブサですね。『海底人8823ハヤブサ』。
古川 白黒テレビしかなくて、カラーテレビが欲しかった、
という時代からテレビで育ちましたからね。
自分が最後に引退したり、老後になったときのことを
考えてしまうんですよ。
うちの母親は、もともとはラジオ派なんだけど、
ほとんど足も不自由になった今、一日中、
テレビのリモコンのチャンネルボタンを押している。
僕にしても、だんだん頭も弱くなっていくだろうし、
世界との接点も断たれていくだろうし、
そのときに欲しいものといったら、
「自分の見たい番組が映るテレビ」
だと思うんですよ。
糸井 なるほど。
古川 それから、受動的に見ているなかでも、
「あ、あれ食いたい!」
「あの人に連絡したい!」
「これが買いたい!」
っていう意志をもった瞬間に、
画面に対して働きかけをするだけで
自分の欲しい情報を表示してくれるテレビ。
そういうものを実現したいと思うんですよ。
そのためには、いろんな人に教わらなくては
いけないですけれどね。
「技術的にこんなことが可能なんです」
「アンタ、そんなもん、流行りゃしないですよ」
って言うような会話のなかから、
「こうやったら、うまくいくんじゃないか」
っていう意志をおたがい持つことによって、
自分のアイデアがまた別の方向にシフトしたり、
技術は粗削りなんだけれどもこういう形でなら
商品として成り立つかもしれないな、という
活路が見いだせるかもしれない。
そういうことの繰り返しをやってきたんです。
糸井 なるほど。
古川 北海道の岩見沢に、社会福祉法人クピド・フェアと
いうのがあって、筋ジストロフィの子達がいるんです。
彼らは、自分自身の寿命があと10年しかないと
悟ったなかで、入力装置を自分達で設計しました。
いままでの障害者用の道具っていうのは、
手が動くなら手の入力装置を買ってください、
手が動かなくなったら、口で、息を吸い込んだり
吐いたりすることで認識させる装置を買ってください、
それも動かなくなっって、まぶただけ動くんなら、
それ用の入力装置を買ってください、ってなってます。
障害の進行度合いによって3回買い替えなきゃいけない。
その度に30万円遣ったら、
全部で100万近く、かかることになる。
そんなもんで100万遣うくらいだったら、
赤外線のもっと高度なもので、
いろいろな動きや熱を選出するセンサーがある。
それを組み直して、手でも唇でもまぶたでも、
それをどこに持っていくかで自由に入力できるデバイスを
自分達で作る、って、作っちゃったんです。
それを使って、今はコンピュータグラフィクスの絵を
がんがん描いている。その子達が言うには、
「古川さん、これは、自分が欲しいものを
 作っただけじゃなくて、みんな、80になったら、
 これが要るようになるんだから。
 80になったときに古川さんが開発しようと思っても
 手おくれだからね。僕らは、80までの人生を、
 これから5年か6年でいっぺんに駆け抜けちゃうから、
 僕は今もうそれが見えてきちゃっているから、
 先に作っといたんだよ」
って。で、その子達の一番の自慢は、
あるガンの末期患者の方にその装置を使ってもらった
ことなんですよ。
体が動かなくて苦痛があって、
もうキーボードを打つ力もないけれども、
「自分の意志を、遺書として残したい」
っていう方がいらっしゃった。
でも、その方には、簡単に使えるデバイスが
なんにもなかった。
それでその子達にその装置を借りに来たんですね。
自分達が必要だから作ったものを、
死に行く人が最後に自分の意志を残したいっていう
ために借りに来てくれたわけなんです。
「それが僕らの自慢なんだよね」
って。彼らは、
「リモコンだったら便利でしょ」
っていう僕らの考え以外のことが、
先に見えている人なんだなあと思いましたよ。
こういう道具じゃないと意味がないよ、ってことを、
早く理解した人なんですね。
加速度を持って、80までの人生を数年で
走ろうとしている人が、
自分の今持っているテクノロジーで、
僕らが80になったときに必要なものを
先に教えてくれたんだなあ。
そういう人たちに刺激をもらいながら、
自分たちはテクノロジーという部分で
貢献できるものがあればいいと思うんです。そのために
走って、走って、走り続けようと思うんですよ。

(つづく)

1999-10-15-FRI

HOME
戻る