「八ヶ岳倶楽部」編 今回の先生/柳生真吾さん
名前その59 ダンコウバイ
どうやらおふたりは、
雑木林のまんなかあたりまできたようです。
木漏れ日が差しこむ中での散策は、
ますます気持ちよくて‥‥。
せっかくの雑木林。
ここですこし、みちくさではなく、
柳生さんから木のお話をうかがうことにいたしましょう。
柳生 こんな道もあるんです。
枕木1本の細い道。
足下、気をつけてくださいね。
吉本 はい。
柳生 これは庭造りをする立場からいうと、
狙いがあるんです。
吉本 狙い?
柳生 ここを歩くとき、吉本さん、
どこを見ます? 目線は?
吉本 下です。
柳生 下を見ないと落ちちゃいますからね。
だから、下に見てほしいものがあるときは
わざとこういうふうにするんです。
吉本 ああー。
柳生 京都に庭をみにいくと、
歩きにくい石畳がありますよね。
それは庭をつくった人が
足元を見てほしいからそうしているんです。
もしくは、周りにみてほしくないものがあるか。
吉本 なるほどぉ。
たしかに細い道では自然に足下をみます。
で、足下が大丈夫になると周りをみて‥‥。
あ、これ、
この不思議な葉っぱは?
柳生 これはね、ダンコウバイっていいます。
吉本 ダンコウバイ。
柳生 いい香りがするんです。
葉っぱの匂い、かいでみてください。
吉本 (スーッと息を吸って)いい匂い。
柳生 いい匂いでしょう?
ちぎってもむと、もっといい匂いです。
吉本 はぁーー。
ほんとだぁ、すっごいいい香り(笑)。
柳生 ね(笑)。
これが、ダンコウバイ。
吉本 これは何かに使われてるんですか?
柳生 ううん、使われてないんです。
吉本 もったいない。こんないい匂いなのに。
柳生 実は、これの親戚に
これよりもっといい匂いのがあって、
そっちが日の目を浴びちゃったんです。
吉本 その、日の目を浴びたのは誰ですか?
柳生 クロモジといいます。
吉本 ああー、クロモジ(黒文字)!
高級な爪楊枝になる。
ダンコウバイって、
クロモジの親戚なんですか。
柳生 そうなんです。
クロモジもダンコウバイも
クスノキ科です。
この仲間はどれも匂いが強い。
その成分はショウノウです。
吉本 虫除けの、ショウノウ。
柳生 虫に食べられないために、
いい匂いになっているんですね。
でも、クロモジはいい匂いになりすぎて、
人間に取られるようになっちゃった、と。
吉本 そうかぁ‥‥。
柳生 クロモジもありますよ、ほら。
吉本 これがクロモジくん。
柳生 では、記念の爪楊枝を(ハサミで切る)。
吉本 わー、すごーい、
どんどん爪楊枝に。
柳生 はい、どうぞ。
吉本 ありがとうございます。
‥‥はぁー、いい匂い。
柳生 ね?
爪楊枝をくわえながら歩きましょう(笑)。
吉本 はい(笑)。
柳生 このあたりからみえる景色が
すごく好きなんですよ、ぼく。
吉本 いいですねー。
足下が広いから、周囲がよくみえます。
柳生 ちなみにここで写真を撮ると、
超美人に撮れます(笑)。
吉本 撮影スポット。
柳生 というわけで吉本さん、
一緒に撮りましょう。
美男美女で(笑)。
吉本 はい、美男美女で(笑)。
ダンコウバイの香りは、
クロモジに負けず劣らずいい匂いでした。
機会があったら、体験してみてくださいね。

次の「みちくさ」は、火曜日に。
「八ヶ岳倶楽部でみちくさ」編は、
火・木・土の更新でお届けいたします。
 
吉本由美さんの「ダンコウバイ」
 

ダンコウバイという名前は初めて聞く。
ダンコウバイを『牧野植物大図鑑』で探すと、
トウロウバイとして登録してあった。
トウロウバイは漢字で書くと唐蠟梅。
その名の通り中国からの渡来もので、
観賞用として庭園などに栽植されてきたという。
唐から来て、
葉が出る前ロウバイに似た黄色い花を咲かせるから
トウロウバイ。
中国名であるダンコウバイを漢字で書くと檀香梅。
檀香とは、
ビャクダン(白檀)など香木の総称らしい。
中国でも園芸種として育てられているそうだ。

観賞用で園芸種、というスタートながら、
いつの間にか自立の道をたどり、
ここ八ヶ岳の小さな雑木林の中に居を据えて、
今や自然児の顔つきであるダンコウバイ。
その葉っぱから
どういう種類の“いい匂い”が発せられているかというと、
甘いような黴臭いような香ばしいような
襞の多い複雑な匂いである。
嗅いでいるうちに、その昔、庭に植えていたモミの木を
燃やしたときの哀しい気分を思い出した。
匂いは突然過去を呼び寄せる。
ダンコウバイとモミの木の匂いは
もったりした切ない感じが似ているのかもしれない。

その点、親戚筋のクロモジの匂いは、
たぶん先入観からだろうがもう少し洗練されていて、
きっぱりしている。
ただ単純に“かぐわしい”のひとことで済む。
たったひとこと“美人”で終わる人に似ている。
細くて黒くて微妙にかしいだ枝走りが、
京の名だたる芸子さんのように小粋だ。
そして、ふと、思った。
そんな粋筋さんを口にくわえることの優越感もあったろう。
くわえると、へいへいへい、ってなもんで、
日頃のうっぷん晴らしができたことだろう。
この枝を楊枝に使おうと発想した人の頭の中の、
奥の奥か、隅の隅に、
そんな意識がまったくなかったとはいえない、と。

いや、それよりも私が
クロモジと聞いて即座に思い出すのは、
初めて白状するのだけれど若い頃の赤恥事件だ。
スタイリストを始めて間もない頃、
「クロモジを探してきて」と編集者に言われた。
モノの蘊蓄を深めるページの仕事だったと思う。
当時はまだインテリアや
モノを専門とするスタイリストはいなかった。
ただ「好きらしい」というだけで
素人の娘っ子が抜擢された。
だから当然のこと無知無学。
クロモジとは何か知りもしなかったのに
馬鹿な頭で考えて、
かつらの一種と思い込んだ。
ほら、かつらのことをカモジと言うでしょ。
それで以前神田の街でビーカーを探していたとき
見つけていたかつら屋さんに出向いてしまった。
実直そうな店のご主人に
「クロモジありますか?」と訊いた。
ご主人はこちらをジッと見て、
しばらく考えを巡らせたのち、
落ち着いた静かな声で、
「うちには置いてないけどね、
 かっぱ橋にはあるんじゃないかな」とおっしゃった。

もう、本当に、
あのときのご主人さん。
すみませんでした。
恥ずかしさのあまり
きちんとお礼も述べることさえできませんでした。
あれから馬鹿は馬鹿なりに生きのびて、
今こうして
八ヶ岳の素敵な雑木林の中にてクロモジと出会い、
一人密かに当時を偲んでおりますのです。

 
2010-09-18-SAT
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