ほぼ日刊イトイ新聞
縄文人の思い。~津南の佐藤雅一さんに訊く、縄文と今と未来がつながるところ~

新潟県津南町にある縄文文化の体験施設
「なじょもん」の佐藤雅一さんは、
縄文人の「思い」に、思いを馳せます。
彼らは、どんなことを考えて、
燃えるような火焔土器をつくっていたのか。
そこに込められた意味や思いに、
どうにか接近しようと、試みています。
縄文時代と現代は、つながっている。
それは未来にも、通じている。
佐藤さんの話を、たっぷりうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
全7回の連載として、お届けいたします。

佐藤雅一さんプロフィール

第5回
ヒゲの金子先生。

──
佐藤さんは、津南のお生まれなんですか。
佐藤
いや、三条。ジャイアント馬場。
──
あ、そうですよね(笑)。新潟県三条市。
佐藤
三条で生まれて、三条で育ちました。

俺が4年生か5年生くらいのときに、
ジャニーズの人たちが
DASH村やってた福島県の双葉町で、
スズキくんという高校生が‥‥。
──
フタバスズキリュウ?
佐藤
そう、首長竜の化石を偶然発見して、
大ニュースになった。

ようするに、俺の出発点、そこなの。
──
はー、縄文の世界へ進むきっかけは、
フタバスズキリュウでしたか。

でも、当時たくさんいたんでしょうね。
佐藤さんみたいな考古学少年。
佐藤
いっぱいいたよ。

当時、工事現場から遺跡が出てきたら、
好き者の先生に連れてってもらって、
そこから、いろんなものが、
グッチャグッチャ出てきて感動してね。
──
ええ、ええ。
佐藤
ま、今から思えば「盗掘」なんだけど。
──
あ。
佐藤
当時、考古学好きな同年代のやつらに
図書館でよく会うんで、そいつら、
三条にある各中学校の考古学好きを、
学校横断でひとまとめにして、
「三条ジュニア考古学クラブ」
って、考古学の集まりをつくったの。
──
えっと、それは、佐藤さんが?
佐藤
そう。で、高校の考古学クラブの人に、
「おまえらのやっていることは盗掘だ、
 そうじゃなくて、
 遺跡は保護するという考えに変えろ」
とか怒られて、いろいろ勉強して。
──
考古学好きの中学生が集まって。
佐藤
公民館を借りて、ガリ版刷ったりして、
新聞つくって出したりしてたなあ。

高校生になったら、
「クラブ」を「研究会」に格上げして、
三条って金物の町だから、
徒党を組んでザル屋でアルバイトして、
実家の敷地にプレハブ建てて。
──
研究所まで建設!
佐藤
放課後になると、そのプレハブ研究所に、
まるでソロバン学校みたいに、
自転車が30台くらい、ワーッと並ぶの。

テストをつくってみんなで解いたりして、
楽しくやってたんですよ。
──
ちなみにお伺いしますが、
そのクラブには、女の子はいたんですか?
佐藤
いないんだ、これが。ゼロ。
俺のまわり、ずっと女性がいないんです。

大学の恩師の小林達雄先生にも、
おまえはそこが駄目だって言われてます。
──
あ、そうでしたか‥‥(笑)。
ちなみに、津南町との関わりはいつから?
佐藤
中学生のころに、
考古学関係の古い資料を眺めているとね、
どれも「津南町」と書いてある。

そこで津南ってすごいと思ったのが最初。
それで当時、みんなでこぞって、
お金をためて、津南の遺跡を見に来たり。
──
へえー‥‥。
佐藤
当時はまだまだガキだし、
黄色と黒の虎の子のテープの張ってある
立ち入り禁止の遺跡に忍び込んだら、
向こうからヒゲ面の先生が来て
「おめぇら中学生なんか、
 こんなところへ来るもんじゃねぇぞ!」
って、ガンガンに怒られて。
──
なんと。
佐藤
ショボンとして三条へ帰ってきたりね。

1週間後、また、性懲りもなく、
また違う町の発掘現場に行ってみたら、
そこも虎の子テープを張ってて、
立ち入り禁止をくぐって入ってったら、
向こうから、またヒゲ面が‥‥。
──
うわあ!
佐藤
やばい、また怒られると思ったら、
こんどのヒゲの先生には
「よう来た、よう来た」と褒められた。
──
あ、別のヒゲの先生でしたか。
佐藤
そう、二回目のヒゲの先生は、
「おまえら、遠くのほうからよう来た」
と言って褒めてくれたんです。

現場で5千年前の火焔土器のかけらを、
パッと拾って見せてくれたりして、
そのたびに、
まわりにいた発掘作業の大学生が
「おおー!」ってどよめいたりしてね。
──
どよめく?
佐藤
つまり、発掘現場で出土してきたものは、
そのまんま残して記録を取るまで、
むやみに持ち上げたりできないんですよ。

とくに考古学の学生なんか、
ひっくり返して見たいの我慢してるのに。
──
勝手に発掘現場に入ってきた中学生に、
先に見られちゃったんだ(笑)。
佐藤
それでね、興味津々の俺たちに向かって、
そのヒゲの金子先生は、
「いいか、おまえら、これが、
 5千年前の縄文人の土器なんだぞ」と。

で、帰り際には
これでみんなでラーメンでも食べれって、
2千円、くれたりしたんだ。
──
当時の2千円って‥‥。
佐藤
でっけぇんだと思うよ。

ま、そんなきっかけで、
中学のころは、
そのヒゲ面の金子拓男先生のところへ、
よく出入りしてたんです。
──
では、そんな感じで、
考古学が大好きなまま、大学まで進んで。
佐藤
いやあ、三条ってのは商人の町だし、
親は考古学なんかはまんま食えねえって、
地元のちいせえ大学の経済学部にね。

でも、やっぱりおもしろくねぇわけでさ、
親の目を盗んじゃあ、
長岡の発掘の現場に通いつめてましたね。
──
ああ、そうなんですか。
佐藤
結局、大学は辞めちゃって、
発掘現場でアルバイトしてたんですけど、
現場のトップの人の書いた報告書に
意見を言えって言われて、
もっとこうしてこうしたらって言ったら、
「生意気言うな」って怒られてね。

おめえさんが言えって言ったから
俺は自分の意見を言っただけですけどね、
って言ったら、ぶん殴られた。
──
お、おお。
佐藤
でね、俺もまだ、若かったんだなあ。

そのトップの人を殴り返しちゃって、
コロコロコロってなっちゃったあとに、
「おめぇなんかクビだ!」って。
──
わあ。
佐藤
俺だって気分よくねぇからさ、
「いいよいいよ」って言って辞めたの。

そしたらさ、新潟県庁から
「佐藤くん、県庁で雇うから来なさい」
って、連絡が来たんですよ。
──
へえ。
佐藤
そんなこんなで、
新潟県教育委員会の埋蔵文化財組織に
嘱託で入れてもらったんだけど、
つまりね、ようするに、
クビになった俺をひろってくれたのが、
あの金子拓男先生だったの。
──
ヒゲ面の!
佐藤
そう。
<つづきます>

2019-02-10-SUN