ほぼ日刊イトイ新聞
縄文人の思い。~津南の佐藤雅一さんに訊く、縄文と今と未来がつながるところ~

新潟県津南町にある縄文文化の体験施設
「なじょもん」の佐藤雅一さんは、
縄文人の「思い」に、思いを馳せます。
彼らは、どんなことを考えて、
燃えるような火焔土器をつくっていたのか。
そこに込められた意味や思いに、
どうにか接近しようと、試みています。
縄文時代と現代は、つながっている。
それは未来にも、通じている。
佐藤さんの話を、たっぷりうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
全7回の連載として、お届けいたします。

佐藤雅一さんプロフィール

第4回
現代人の目線、縄文人の目線。

──
ここ「なじょもん」にある土器って、
どれも本物なんですか。
佐藤
うちにニセモノは置いてないですよ。

大英博物館の日本展示館のね、
訪れる人が
「日本という国の歴史を知りたい」
と言って入っていく館の入り口に
展示されている土器も、
うちの、つまり津南町の火焔型土器。
──
火焔型土器というと、
縄文土器といえば、みたいな感じで
イメージされますが、
このあたりが、発祥の地なんですか。
佐藤
あのかたちが定まったのは、越後。
そこは、間違いないです。

今、俺たちがいろいろ調べてるのは、
定まるまでに、
どのようなプロセスを経てきたのか、
そこのところ。
──
成立した年代が、約5千年前?
佐藤
そう。
──
見れば見るほど、
火焔型土器ってすごい造作ですね。

本当に、これで
実際に煮炊きをしていたのかって、
疑ってしまうほど。
佐藤
鍋釜と同じものですよ。
──
使いにくくなかったのでしょうか。
佐藤
もちろんね、ふつうに考えりゃあ、
こんなふうに着飾る土器は、
やっぱり、ある種の儀式やお祭り‥‥
当時の人間が自然と深く関わる、
何らかのタイミングで、
精霊のような見えない存在と交信する、
そのための儀器であった‥‥
そういう可能性は高いと思うんですよ。
──
不思議なかたちしてますもんね。
佐藤
で、その「不思議さ」にくらべると、
次の時代の弥生土器は、
スタイリッシュな‥‥ようするに、
不必要な装飾をすべて削ぎ落として、
機能に特化していったわけ。
──
ええ。
佐藤
縄文土器って、お尻がちいさくて、
頭でっかちで、
からだ全体が装飾にあふれていて、
いかにも使い勝手が悪い。
──
倒れそうです。
佐藤
でも、その「使い勝手の悪さ」には、
俺ら「文明人」が感じることとは、
別の意味があるだろうってことでね。
──
なるほど。
佐藤
岡本太郎さんもおっしゃってるけど、
縄文土器という存在そのものから、
ブワーッと、ムラムラ、ウズウズと、
縄文人たちの精神が、
湧き出てくるように感じるじゃない。

これでもか、これでもか‥‥って。
──
世界を見た場合、同じような時代に、
同じような器っていうのは‥‥。
佐藤
ないでしょうねえ。
ここまで、ヘンなかたちの器なんて。
──
でも、日本の縄文時代は、
みんなこぞって、この使い難い器を
使ってたんですよね‥‥。
佐藤
縄文土器には、
さっきお話した「鶏頭冠状突起」が、
一定の方向を向いている、
ランダムな方向を向いてないという
規則性があって、
そのルールは基本的には守られてる。

ぼくらは、器形‥‥プロポーション、
フォームという意味で、
器の形、キケイと呼んでますけど、
そこに時間的な変化はほぼないです。
──
なるほど。
佐藤
細かい部分の流行り廃りはあるけど。
ブームというかな。
──
ブーム。縄文時代のブームの期間て、
どれくらいなんですか。
佐藤
500年くらいか?
──
1ブーム500年。すごい(笑)。
佐藤
ところがね、
そこにくっついてる装飾に関しては、
年代によって、
造形や描き方が変わってくるんです。

さらには、地域によっても、
多少の造形の違いなどが出てきます。
たとえば東北では、おおよそ、
土器の器面を4分割しているんです。
──
突起を含めたデザインのパターンが
ひとつの土器につき、
4ユニットくっついてるのが、東北。
佐藤
でも中部高地、長野あたりへ行くと、
器面を3とか5で割るわけ。
──
へぇ、奇数で。
佐藤
地域集団の間で、デザインの違いや、
器風の違いみたいなのがあって、
そこにもきっと、
地域に根ざした理由があるのかなと。

やってみりゃわかると思うんですが、
5で割るって難しいんです。
──
ですよね、4とかよりは圧倒的に。
佐藤
そのあたりも探っていくと、
きっと、いろいろおもしろいと思う。

それに、縄文土器っていうと、
現代人は「真横」から見るでしょう。
──
鑑賞する場合には、そうですね。
佐藤
展覧会なんかでも、
俺ら現代人の目線に合わせる高さで
土器を展示してるんだけど、
それって、
縄文人の目線とは、ちがいますよね。
──
えっと、つまり‥‥。
佐藤
ようするに、煮炊きの道具なんで、
縄文人たちは、
地べたにあぐらをかいた状態で、
土器の斜め上から、
見下ろすように見ていたはずです。
──
ああ、なるほど。真横から見てない。
鑑賞と実用の、目線の違い。
佐藤
些細に思えるかもしれないけど、
そこは、大事なところだと思います。

縄文土器、火焔型土器の文様や造作は、
実際に煮炊きするときに、
意味を持ってくるものだったろうと。
──
あー‥‥。
佐藤
さらに言えば、
当時の竪穴式住居のなかというのは、
うす暗いわけ。
──
つまり、縄文土器のかたちや文様は、
そういう光量の場所で、
斜め上あたりから眺められたときに、
何かを感じさせるものだと‥‥。
佐藤
そうそう。そんな感じ。
──
縄文の人たちの思いや心を知るには、
そういった環境に
実際に置いて感じることも重要だと。
佐藤
そう思います。

だって当時の人々が土器を見る目線、
明らかに、
俺たちが見ている目線とは違うから。
<つづきます>

2019-02-09-SAT