本の装丁のことなんかを
祖父江さんに訊く。

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第3回 帰れないまま、夏休みも終わって。


 
糸井 本嫌いが、工作舎の本を、
読みふけるようになったんですね。
祖父江 それで、読者カードとか
ついてるじゃないですか。
糸井 出すの?
祖父江 宗教になっちゃってるじゃないですか。
糸井 (笑)うんうん。
祖父江 だから、
「ここの人の意見はあれだけど、
 この人には、ちょっと、反感を持ったな!
とか、いろいろ書いて。
糸井 (笑)
祖父江 そしたら、
その時の工作舎は忙しくて、
春休みにバイトをしないか?
とか電話がかかってきた。
糸井 「やるやつだな」とか思われちゃったの?
祖父江 たぶん、読者カードが来る中で、
多摩美の寮生ということは、
ちょっとは手伝えるかな、とか。
糸井 デザイン科だから。
祖父江 デザイン、って書いてあるから
かかってきたんだと思うんですよ。
それで春休みに行ったら・・・
帰れないんですよ。
糸井 (笑)わははははは。
絶えず仕事があるんだ?

それ、うち(ほぼ日)のスタッフの
木村くんみたいなもんだね。
祖父江 みんなが泊まりでやってるし・・・。
糸井 (笑)帰れない。
祖父江 帰れなくて帰れなくて、
気がついたら。
糸井 単位は取ってたのに、あんなに。
祖父江 貯蓄があったから、
いいなと思ってたんですけど、
帰れないまま夏休みも終わって。
糸井 (笑)春から!
あはははは(笑)
祖父江 そろそろ、通知が、親のほうに。
出席していないので、
ちゃんとやらないといけないですよ、
みたいなのが親に届いたみたいで。

親から怒りの電話がかかってきて。
「ちゃんと卒業しないと、
 行かせてやらない!」とか。
まあ、そりゃそうだなあ、と思って。
何でこんなに働いてるんだろうなあ、と。
糸井 (笑)「俺って」。
祖父江 それで、これは、
学校にちょっと戻りたいな、と
当時編集長だった松岡正剛さんに言ったんですよ。

そしたら、たまたまその時に、雑誌の連載記事で
大学から遊学へ、という特集があった時期で、
「大学行って、何するんだ」
とか言われて。
「大学っていうものは、どうなんだ?」
という、その特集は、そういう
問いかけのようなものだったんですよね(笑)。
糸井 (笑)
祖父江 「ちょっと明日行ってみて、
 大学にほんとに残ったほうがいいかどうか、
 連絡してくれ」
とか言われて。
糸井 ほお。
祖父江 それで、大学行って、一日出席とって、
で、何か知らないけど、次の日に
また工作舎行ったんですよ。

で、行ったら、何か、
「勉強になったか?」
とか言われて。
糸井 (笑)
祖父江 で、こっちのほうが
勉強になりますね、って。
まあ実際そうなんですよね。
糸井 うん、うん(笑)。
祖父江 で、何か知らないけど、
社員になっちゃったんですよね。
糸井 あはははは。
ほとんどそれ、
「ほぼ日」の木村じゃねえか(笑)。
祖父江 で、これ以上むだなお金を払ってても
しょうがないということで、
中退になっちゃって。
糸井 (笑)親には言ったのね?
祖父江 うん・・・。
なんか、親とかは、わけもわからないまま
「そんな危険思想のところに」って。
東京に出てきたりしてね。

それで、ずっとアシスタントだったんですけど、
ちゃんと、アシスタントじゃなくて
やりたいなあ、って思うことが
いっぱいあったんですよ。

それで、たまたまその会社が
すっごく不渡りのようなものに
近いかたちになって。
糸井 (笑)工作舎が。
祖父江 そこのところで、急に
「全体会議だ!」とかいうことになって。
糸井 「不渡りも、出たし」(笑)。
祖父江 不渡りを出したかどうかは
わかんないんだけど・・・
で、何かと思ったら、
実は給料を払っていくのが
これだけ人間抱えてツラいから・・・。
糸井 抱えちゃったんだ。
祖父江 やめてもいいやつは、
どうぞやめてもらいたいと、
そういう会議だったんですよ。
ですから、ぼくより上にいたデザイナーは、
全員やめちゃったんです。
糸井 へえー。
祖父江 だから急にアートディレクターというか。

(つづく)

2001-03-16-FRI

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