信頼の時代を語る。
山岸俊男さんの研究を学ぼう。

第6回 私には、実験が必要です。


※今回の対談部分は、山岸俊男さんが、
 「研究をどうやろうとしてきたのか?
 を、バックグラウンドからdarlingが訊ねて、
 そこからまた違う話題にすすむところです。

 あ。そうだ。
 この連載は、みなさんが、自分のまわりの
 人間関係や仕事とひきつけて、
 読んでくださっているみたい。
 ありがとうございます。
 メールもいろいろと届いておりますので、
 今回は、そのなかから一通をご紹介してから、
 対談の本文にゆきましょう。

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>「信頼の時代を語る」のことなど考えてます。
>
>「人」と仕事をするっていうのと
>「仕事」と仕事をするっていうのは、
>どっちがしあわせなんでしょう。
>
>最終的に誰も不幸にしたくないと願うとき、
>どうしたらいいのかなぁ、と思うのです。
>最後に「始めなければよかった」とか
>「出逢わなければよかった」なんて言いたくはない。
>
>まぁ、恋をして、たった二人ですら
>その事を思いやっていくのも難儀なことなのに、
>それが更に研究室や編集部みたいに人が増えていくと、
>更に難儀になっちゃうのは当然なのかも知れませんね。
>
>でも、諦めたくはないんですよ。
>確実な方程式が見つからなくても、
>見つからないからこそ
>なおさら一生懸命に信じようとするチカラを、
>信じていたいと思っちゃう。
>自分だけの方程式を自分だけ見つけて、
>他を諦めていくのではなくて。
>
>ってのは・・・綺麗事なんですかねー・・・。
>嗚呼、さみしくなってきちゃった。。。
>ではでは。
>
>(匿名希望)

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 みんな、こういうことを、
 いろいろ考えながら暮らしているんだよなー。
 そりゃ、考えますよね・・・。

 対談のこれからも、やはりそういう方向で、
 ひとの社会関係に触れてゆきますので、
 どうか連載を楽しみに読んでくださいね。

 それでは、今回のものを、どうぞ。

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山岸 ぼくが研究者として非常に幸せだったのは、
サラリーマンの家庭に生まれなかった点です。
オヤジは中小企業の経営者だったんだけども、
50歳くらいでやめて絵描きになっちゃいまして。
糸井 (笑)ほーっ。
山岸 やはり世間の常識だとか学歴が
まったく関係のない世界なんですね。
自由に発想できるというところがあるから、
そういう意味では、
商人の世界にも近いのかもしれない。
糸井 つまり、いわゆる安心社会と言われているものが、
「そんなの、あやしいものだよなあ」
と、山岸さん、子供のときから知ってたんだ?
山岸 まあ、そうですね。
かみさんと結婚した時に、
それですごく驚いたことがありました。
かみさんはエリートサラリーマンの家庭で
育っているのですが、そこの家庭では、
学歴というものを、ほんとうに重要なものとして
考えているんだなあ、と知ったものですから。

私は、学歴はマスコミが書き立てるお話で、
あったほうがいいけど、なくてもどうでもいい、
と思っていて、まあ家が中小企業ですから、
あんなものはあったってなくたって関係ない。
でも、その学歴を、本気で、
何よりも重要だと考えている人が
世の中に存在していると知った時は、
すごいショックがありました。
糸井 「ショック」とまで言うということは、
そうとう「大事だと思ってなかった」んですね。
ご自分が大学にいくときは、
研究をしようと決めていたのですか?
山岸 いや、まったく思っていませんでした。
糸井 大学に入る時は、何をしたいと思っていましたか?
山岸 いやあ、何も考えていませんでしたよ。
糸井 わかるなあ、その感じ。
山岸 最初は理系にいく勉強をしていたんですけど、
大学から帰省してきた兄貴に、
「お前、工学部なんか遊ぶヒマないぞ」
と言われて文系に変えたぐらいですから。
大学を選ぶ時でも、まあ、出身が名古屋ですから、
名古屋大学になんて行った日には、
親元を離れられずに大変なことになりますから、
だから、ともかく東京の大学に。
糸井 逃げたんだ(笑)。
じゃあ、遊び人だったんですか?
山岸 遊び人になりたいと思っていたんですね、本当は。
糸井 研究というフィールドで
遊びをはじめちゃったんですか?
山岸 たぶん、そういうことになりますね。
やってみると、本を読んだら興奮するわけですし、
とにかく研究がおもしろくて、そちらに
のめりこんでしまったということだと思います。
糸井 山岸さんの動機は、何なんだろう?
キーワードは、やっぱり「自由」でしょうね。
山岸 そうだと思いますね。
糸井 最近会っておもしろいなあと感じる人って、
みんなどこかで、言葉としては発していないけど、
「自由」については、ものすごく欲深だと思う。
山岸 それは、そうだと思います。
私にしても、今、研究業績を
なるべく外国の雑誌に出すようにしていますが、
出す理由は、要するに自由を獲得するためです。
「嫌になったらいつでもやめられる」
「研究するために、どこの大学も選べる」
という自信をつけておくためですね。
糸井 自由のためなら不自由もするという。
山岸 それに近い状態ですね・・・変ですよね?
糸井 いやあ、それわかりますよ。
我慢して我慢して、賞をとるための小説を書いて、
芥川賞を取ったあとには、もう大丈夫だといって
好き放題に書けるというようなものですよね。
山岸 実は、50歳になったら、実験はやめて、
アームチェアーに身を沈めて、好き放題に
いろいろしようと、本当は思っていたんですよ。
ところがまだ実験から開放されませんね。
糸井 実験がおもしろかったから?
山岸 実験もおもしろいですし、
自分自身をやっぱり実験で縛らないと、
いろいろと、ものを考えられない。

実験というのは、考える道なんですね。
いくらいいことを考えていても、
結果が出なければどこかが間違っている、
そういうものが、私には必要です。
糸井 脳にボディがついてるみたいな、
そのボディに、実験があたっているわけですね。
山岸 そうです。
実験をするというのは、ところが、
わざと自分で鞭打つようなもんなんですよ。
糸井 まったく白紙のところからの自由というのは、
やっぱり、ないんだ・・・。
山岸 そこであまりにも自由に考えたら、
意味のあることを考えられなくなる、というか、
まあ、そういう信念になっちゃいました。
糸井 あはははは(笑)。おもしろいなあ。
まるで数学者と話しているみたいだ。

山岸さんとは、とても近いものを感じるけど、
どうやって道が分かれたのかな?と思ってた。
考え方の根っこにあるものは、そっくりだと思う。
ぼくも、商人の子どもというか、
自営業の息子だったんですよ。
自分で「今日は仕事をやめよう」とか
決める親父が近くにいましたから、みんなが
あくせくして「これは大変だ」と言ってる内容は、
どうも、大変じゃないみたいだなあと思いながら
ぼくは育ってきたところがありまして。

小さい頃から、周囲と適応はしているのですが、
そういうものは、我慢すれば
いくらでも適応できるわけでして・・・。
ぼくは、不自由感を探すのが好きなんです。
ちょっと、マゾですけど。
「このへんが、不自由だなあ」
というのを探してゆくのが、趣味で。

だから、一斉に全員が間違えてゆく瞬間だとか、
自分はまわりとこのように違うふうに考えている、
というものを見つけることがぼくのフィールドで、
これは山岸さんにとっての研究にあたるような
ことだと思うんですけど・・・。
ただ、それは研究の筋道があるわけじゃないから、
百個考えた中でも、一つか二つしか役に立たない。
今までの中で、今がいちばん、
いろいろな人にとって「不自由」の発見が
ある一つのムードを出しているような気がします。
今が転換期だからだと思うのですが、
今までなら馬鹿にされてしまうようなことが
聞いてもらえるようになっているじゃないですか。

特に今は、ネットがつながったおかげで、
ほとんどの人に直に問いかけられるようになった。
だから、昔に比べて「そうなんです!」という声が
すぐに反応として見えるようになったと思います。
ぼくにとっての実験例のようなもので、
そういう声が集まってきたら、妙に自信がついて、
「じゃあ、言っていいんだ」だと思えてきました。
今までは不自由な人がイニシアチブを取ってきて、
その主導下でみんながガマン比べをしていたけど、
それが、なくなるのかもしれない・・・。

(※明日は、この「自由」を
  ふたりはそれぞれどう求めるかについてに、
  話がつづいてゆきますので、お楽しみに・・・)

2000-11-28-TUE

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