80's
『豆炭とパソコン』のひとり旅。

第24回

『豆炭とパソコン』の装丁について、
私は当初、和風のイメージを持っていました。
一般にパソコンとかインターネットというと、
時代の最先端にあるデジタルなイメージがありますが、
この本では、インターネットでつながった先に
今さらながら見つかった
温かくも懐かしい人々の暮らしを感じてほしい、
という思いがありました。

そのミスマッチな感じを表すとすれば、
いわゆるインターネットの本らしからぬ装丁に
してみてはどうか? と思っていました。

また、この本の構成を考えるにつけ、
書き下ろしあり、南波先生の実践レポートあり、
ミーちゃんの日記あり、連載当時の糸井さんのコメントあり
と、内容盛り沢山な上、
「連載を振り返る」という体裁を取るために、
過去と現在が入り交じるという、
非常に複雑な作りにならざるを得ないことが
わかっていました。

その辺の事情をよく把握していただいた上で、
読み手に混乱させないよう、巧く交通整理をしていただき、
かつこの本の個性を最大限印象的に引き出すことのできる、
優秀なデザイナーさんを探さなければいけません。

そこで私たちは慎重にデザイナー探しをしました。
そして、紆余曲折ありながらも、
最終的に白羽の矢が立ったのが祖父江慎さんでした。
この本のデザインを手掛けてくださった祖父江さんは、
個々の本の性格を見極め、的確かつ大胆な装丁を施すことで
その名を知られた天才肌のデザイナーさんです。

例えば、
吉田戦車さんの『伝染るんです。』シリーズや
さくらももこさんの単行本や『富士山』シリーズ、
『新耳袋 現代百物語』シリーズや
京極夏彦さんの『どすこい(仮)』などなど、
それぞれの本の内容に素晴らしくフィットした
丁寧な装丁ぶりに、
プロならずとも唸った読者も多いと思われます。

糸井さんの『誤釣生活』も祖父江さんの装丁でしたが、
同じ糸井さんの本だから今回も、というわけではなく、
祖父江さんなら、この難しい条件の揃った本を、
きっとさりげなく上手にデコレーションしてくれることを
期待して、お願いしてみることにしたのです。

とはいえ、
私は祖父江さんとは
それまで一緒に仕事をしたことがありませんでした。
相手は、百戦錬磨の超人気デザイナー、
果たして引き受けてくれるだろうか・・・。

祖父江さんのプロフィールにあった
私と同じと「名古屋出身」という一句に
勝手な親近感を感じながら
(そういえば詩子さんも名古屋出身でした!)
まずは電話をかけてみたのですが
何度かけても「打ち合わせ中です」とか
「入稿作業中で手が離せません」、
あるいは「打ち合わせで出かけています」
と言われてしまい、
なかなかお話ができない状態が続きました。

うーむ、これは想像以上にご多忙の様子。
やはり、飛び込みでお願いするのは難しいのか?
それでも断られるまでは諦めまいと、
ねばってねばってやっと捕まえることができたのは、
アタックを始めて数日後の夜遅く、
11時をまわった頃でした。

祖父江さんは、穏やかな声で静かにお話しをする方でした。
そのときの会話の内容は、今でもよく憶えています。
まず、本のお話をしたところ、
「いいですねえ」と受話器の向こうで頷く様子が
伝わってきました。

そして、イラストは山田詩子さんを考えています、と言うと

「あ、詩子さんですか!いいですねえ!
 詩子さんなら安心して任せられますよ」

と弾んだ声が返ってきました。
よくよく聞けば、ちょうどそのとき祖父江さんは、
詩子さんにイラストをお願いして
別の本を作っているところだったのです。

いろいろな偶然が重なり、
結局、祖父江さんはこの本のデザインを
快く引き受けてくださることになりました。
そして、もちろんイラストは山田詩子さんに
お願いすることになりました。

後に糸井さんから、
「実は、詩子さんのイラストを見つけたときに、
 祖父江さんに意見を聞いてみたいと思ってたんですよ。
 まだその時点では、この本のデザインを祖父江さんに
 頼むかどうか、決まっていなかったんだけどね。
 だから、デザインが祖父江さんに決まったと聞いて、
 すっごく嬉しかったんですよ」
と言われた時、
何か目に見えない不思議な偶然が働いているようで、
この本はすでに「幸せな本」への階段を昇り始めていると
確信したのでした。

2001-02-03-SAT

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