YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし
二膳目。

<第9回 よせばいいのに、評論家に寄っちゃう。>

糸井 ぜんぶで幸せになろうとすると、
だいたいが、苦労しますよね。
吉本 あぁ、そうなんでしょうねぇ。
糸井 「これが欲しい」の、
そのひとつだけを欲しがっていたら、
ツラくなかっただろうなぁ、という。
吉本 そうでしょうね。

それを聞いて思うのは、
文学の分野でもおなじだなあ、ということです。

似ているようで似ていないのが、
「文学研究者であること」と、
「文学者であること」なんですよね。
その両者は、いちばん似ていません。
糸井 おぉ。
それは、おもしろいですね。
吉本 ぼくはそう思います。
文学研究者と文学者は
一見すると、紙一重で、
似ていることをしているようにも
思えるんだけども、まったく逆のものです。
そこに大きな錯覚があって、
小説家で言えば、
中上健次さんという人は、
晩年に、それでミスったなぁ、
というふうに見えるんです。
糸井 研究者のほうに、寄っちゃった。
吉本 そうなんですよ。

ぼくは、
「そういうの、よせばいいのに」
と、実際に中上さんに
言った覚えがあるんですけどね。
「お前が頭のいいというのはわかった、
 だけども、頭のいい人に寄っていくと、
 だんだん、小説がヘタになるぞ」
そう言いましたけれども、あの人は
ほんとうに頭が良くて勉強家なものだから、
そうぼくがいくら言ったって、そうなんだ。

だから、
「だんだんおもしろくなくなるなぁ
 お前の書くものは」
と思うように、なったんです。
いちばん最後なんて、いちばんひどい。
『異族』っていう、
途中でおわった小説ですけれども。
糸井 批評を小説にしたような、ものですね。
吉本 それを読んで、こりゃいかん、と。、
あの人、そんなことなんかしないほうが、
いろいろやれるのになぁ、と思っていました。
糸井 おもしろいなぁ。

・・・それって、
「『女好き』と『女』は似ていない」
ということですよね?
吉本 なるほど。
糸井 「女好き」は、
いちばん「男」ですから。
吉本 そうです。
糸井 だから、中上さんの場合、
「女」だったはずなのに、
「女好き」になっちゃったと。
吉本 「もう少し、こうすればいいのになあ」
って、思っていたんだけども。
糸井 吉本さんは、批評と小説のようなものを、
行ったり来たりしているじゃないですか。
吉本 文学研究者、文芸批評家、小説家、詩人、
歌詞を作る人、いろいろな層があるけれども、
今は、この層だ、ある時はこちらの層でやろう、
と、そういう考えかたは、しますね。
糸井 ふーん。

全体として、
「ひとつの層にだけ入りこんで、
 その層のルールに従う」
というのではなくて、
吉本隆明というひとりの人として
ふだんから、居るなかで、
「今はこの仕事をやっている」
という感じなんですね。

家を建てることで言えば、
今は柱を立てている時期だとか、
今は磨いている時だというような・・・。
吉本 そういう意味では、
自分がこうだ、というようには、
「決めないようにしてきた」
ようなところはあるんですけれども。
考えてそういう風にやっているんですけど。
糸井 それは、
そうとう意識的にやらないと、
混乱しますね。
吉本 ひとつの層だけに入って、
「俺は、こうなんだ」
と、全身からそうなって
しまわないことに関しては、
かなり、気をつけてやっていますね。
糸井 他人の目としては、何とかして、人を
ひとつのカテゴリーに入れたがるけれども・・・。
吉本 そうそうそう。
糸井 そこから、絶えず避けていなければ、
いけないんですよね・・・。
あるカテゴリーの中に入りこんでしまって、
プロフェッショナルになっちゃったほうが、
まあ、事業としては、
非常に簡単になりますけれども。
吉本 そうでしょうねえ。
そりゃ、やりやすいでしょう。
糸井 ですよね。
吉本 ぼくの読者は、
あんまり顔が見えないけど、
時々、顔を見せる人が、いるんです。

ほんとうは、顔を見せないような人が
ぼくの本を読んでくれる対象だと思っていますが。
でも、熱心な読者だと言う人のなかで
誤解されていることを感じるんです。

つまり、
「あいつは純文学の批評が専門だから、
 七面倒くさいことばかり言ってきたのに、
 そういうことだけやってりゃいいのに」
と、思う人もあるでしょう。

でも、ぼくは、ある時点から
割と意識的にやり方を変えたものですから。
「ある条件の読者にだけ通じるもの」
ではなくて、条件なんか
とっぱらっちゃっていこうとしています。
糸井 意識的に変えたというのは、
どこですか?

(つづく)

2001-08-27-MON

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