YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし
二膳目。

<第4回 その緻密さは、無駄なんじゃねえか。>

吉本 いま「学生の質が落ちている」と
言われているようなものは、それはもう、
「落ちてもいいようなものだ」と思うんです。

もともと、就職をしたあとに、
ひとつの専門のものをやらされる、
という時になってから勉強をすれば
それで済むと言う程度のものが
多いんじゃないかなあ・・・。
学校でやるならやるでいいけれども、
やらなくても、おんなじだ、というか。
糸井 若い時に授業のコマ割に合わせて
1年かけて勉強をしたようなことは、
もしかしたら、社会人になったあとで
1冊の本を読んだだけでも、
一気に取り返せる、ということが、
あるかもしれない。
吉本 そういうもんですよね。
糸井 それを実感していれば、
学力低下なんて、心配ないと思うんですけど。
吉本 そうなんですよね、
ぼくもそう思いますが、
一般的にはなかなかそうは思えないというか、
そうはいかないのでしょう。

最近の話題でいうと、
円周率は3.14ではなくて
「だいたい、3」にしようという話題で、
「こんなのでいいのか?」
と言う奴ばっかりでしょう?
でもぼくは、
それでいいんじゃないかと思います。
糸井 ぼくもそうなんですよ。「3」でいい。
吉本 そんなの、使うことなんてないでしょ?
糸井 ない。
吉本 そうでしょ?
だから、そんなものは、
もう、「だいたい3」でたくさんじゃないか。
そう思うんです。
糸井 ぼくもあれは、
画期的ないい変化だと思いましたが、
みんな、怒っていますよね。
吉本 怒ってる。
糸井 せっかく「だいたい3」にしたのに・・・。
あれを怒ってるのって、何か
もてないやつがもててる奴に怒る図式に
似ていると言うか。
吉本 (笑)
糸井 「俺は、何のために苦労してきたんだ!」
と言うか・・・。
台形と円周率に関しては、すごい怒っていますよね。

「ぼくは、それでいいじゃないか」と思うけど、
そうとうふつうの人に見える人さえもが、
こういう話題になると怒っているのを見ると、
「けっこう問題だなあ」って思います。
吉本 ほんとうですよね。

ぼくはそういう変化を、
「いやぁ、よくなったよくなった」って、
いいことだと思っているけど・・・。

使えもしないよりは
だいたいで知っていれば
いいんじゃないかと思うんです。
それで、たくさんです。
本当に計算をしたい人は、すればいいのだし。
糸井 こないだね、不登校の子たちから、
インタビューを受けたんですよ。

だいたいが、中学を出たばかりの子たちで、
いちばん上でも、二十歳くらいでしたが、
話をしていて、妙に、おもしろかったんです。

何がおもしろいかというと
「言葉の正確さ」があるからです。
吉本 へえ。
糸井 ふつうの言葉を使ってはいるんだけども、
「自分の思っていることが、うまく言えない」
ということについて、
正確に捉えている子たちでした。

ぼくがしゃべっていることを、
理解しているのかどうなのかについても、
7分目までの理解なのか、全部なのか、
みたいなことを、割に厳密に捉えながら、
こちらと言葉の受け答えをしているんですよ。

つい先日、テレビに出た時に、
出演者の大滝秀治さんの話を聞いていたら、
それと、おんなじことを感じました。

さんまさんなり楠田さんなりが、
「つまり、こういうことですね?」
と発言をまとめようとした時に、
大滝さんは、必ずそれに
正確な補正をするんです。

大滝さんの誠実さでもあるし、
発言の前後の正確さが
ものすごく守られているんですよね。
ある側面から見れば、それは
口うるさい人だ、とも
映るのかもしれないですけれども。

「知」と言うと、大げさですけど、
「知のようなもの」のいちばん重要な部分は、
正確さというか、正直さというか、
自分がどれだけ嘘を言っているのかを
判断していることではないか、と思います。

・・・ただ、このことを、どうも、ぼくは
吉本さんから、学んだような気がするんですよ。
近所のお兄さんとして。
これさえ、持っていれば、
ほんとうの知は滅びないというか・・・。

さっきの円周率にしても、
「3ぐらい」だと、暫定的に
知っているかどうかがすべてですよね。
もちろん、「3だ」と教えたら
間違いですけれども、
「おおよそ3なんだから今は3でやりなよ」
と言ったら、あとは
小数点以下100ケタでも何でも、
必要な字に使うことができると思うんです。

3.14にしておくことが、
いかに大切かを声高に主張する人たちは、
むしろ、「3.1415...」以下延々と続くところを、
考えに入れていないわけですから、
そっちのほうが、態度としては、
間違っていると、ぼくは感じます。
吉本 ぼくも、
それでいいんじゃないかなあ、と思います。
あんまり気にしすぎるのは、
「プロ野球選手は足腰が痛くて当然だ」
という状態に似たもの、と言うか、
つまり、病気の領域に入るではないか、と。

例えば、フランスの哲学者とか文学者というのは、
常に、小数点以下10ケタも20ケタも
計算をしているような議論を重ねますよね。
ただ、その緻密さというのは、
意味がないのではないか、と、ぼくには、
どうしても、思えてしまうのです。
糸井 「人体を超えたスポーツ」みたいな。
吉本 (笑)
緻密にやりすぎというか。
態のいい「頭の使い捨て」のようなもので、
そんなことは、しないほうがいいんじゃないかな、
と思えることが、多いのです。
「欠陥」に見えてしかたがないんです。
いいことのようにいう人もいるでしょうけども。
糸井 そっちのほうは、吉本さん、
一種の変態性欲のように思えば、
いいんじゃないでしょうか。
吉本 まあ、そうなんでしょうねえ。
糸井 きれいにいえば、「趣味」だし。
吉本 そうなんでしょうね。
ぼくは
「その緻密さは、無駄なんじゃねえか」
って言いたくてしょうがないんですけれども。

こんなことを、
そんなに緻密に追いつめていったって、
おまえ、そんなの意味ないよ、と思えますが、
思想はフランスでは唯一の輸出品ですから、
そうならざるをえないのでしょうけど。

(つづく)

2001-08-10-FRI

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