YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし
二膳目。

<第1回 こりゃ、あぶねえんじゃねえか。>

糸井 吉本さんは、いわゆる
「活字文化」についてはどう思いますか。
吉本 いまは、以前よりも、もっと、
はるかに便利なものが出てきているから、
活字自体が、もう、
「くどいもの」になっちゃってるというか、
とっつきにくくなっている、というのは、
あるのではないでしょうか。
糸井 それはもう、自然のなりゆきとして
あきらめるしか、ないのですか。
書き手としては。
吉本 あきらめるしか、ないでしょうね。
文学という単位としては、
仕方がないんじゃないか、と思います。

それを覚悟の上で、ということですから、
今までたくさんの
本の部数を出していた作家たちは、
「こりゃあ困ったなあ」
ということになってきますでしょうし、
もともと、あんまり出していなかった人たちは、
「まあ、それでもいいや」ということに、
なるんでしょうけれども。
糸井 「それでもいいや」って・・・(笑)。
吉本 そこへ行くと、
批評みたいなものを書いていた人は、
もっと、そう、ですから・・・。
「じゃあこの人たちは、  ぼくを含めてどうするんだ?」
って、ぼくなんかは、
いつも思いますけれども。

その人たちも、まあ、よくしたもので、
ぼくも経験があるんですけども、要するに、
芭蕉とおんなじで、どこか地方に、
奥の細道にでも行くという。

つまり、地方に文学サークルというか
文学の好きなひとたちの集まりが
どこかに必ずありまして、
そこに寄宿するようにして
おしゃべりをするとですね、待遇はいいし、
その土地のものは食わしてくれるし、
お金もけっこうくれるというのがありまして。
なんか、それで成り立つというか。
糸井 情報を、娯楽として使ってもらうという
消費のされかたを、するんですね。
吉本 そうです。
でも、それじゃあ、今の
インターネットみたいな世の中になりますと、
それも要らねえ、ってことに
なっちゃうのかもしれないですけど。
糸井 いや、やっぱり、生のすごさは。
吉本 ああ、そうでしょうね。
やっぱり、その人に直に会ったとか
しゃべったとかいうことがあると思いますけど、
それ(地方に行くこと)は、
けっこう、割に気持ちがいいというか、
悪くないというか・・・。

お金も悪くないですし、
土地の名産みたいなものもくれるし・・・。
これは、やっぱり、こたえられねえなあ、
という感じがするんですよね。
やっぱりこう、それで成り立つなあ、
というのが、ぼくの印象です。
糸井 欲しい人が、
いまは1000人しかいないとしても、
その1000人が、
「いままで1000円で売っていたものだけど、
 1万円でも、俺は、それを買うよ」
と言えば、最初から価格を1万円にできますから。

1000人には確実に行き渡るというシステムなら、
成り立つんじゃないかなあ、と思います。
吉本 そういうのが、ありましょうね。
糸井 本屋で並んでいる中から選ばせると、
その「欲しがっている1000人」に
たどりつかない怖れがありますが、
ネットの予約なら、成り立ちます。

確かに、今は、
「誰もが、10万部の本を作らないと食えない」
という中でやろうとしても、無理ですよね。
吉本 無理に、なりましたよね。
糸井 「このくらいのサイズでメシを食っていく」
という、いろいろなやり方でなら、
さっきの「予約で1000人」というような、
いろんな風なやり方をできるとは思います。
吉本 筆者と出版社との関係が
いままでとおなじようであっても
成り立たせることのできる人と言えば、
小林秀雄のような人だけですよ。

今、あの人の新しい全集が出ますが、
1冊1万円近いというものすごく高い定価で
本の背が皮でできていたり、しています。
糸井 本のフェティシズムのほうに、
行きますよね。
吉本 あの人の場合なら、それをやれますが、
でも、だんだん、できにくくなってきている。
結局、そうでない人は、芭蕉のように
各地を行脚(あんぎゃ)して、そのつどに
鳥目(※お金のこと)をもらって旅をするという。
糸井 「誇り高き食客」みたいな。
吉本 そうなんです。
もしくは、学校の講師になるとか。
たぶん、そういうことでしか、
芸術としての文学を
できなくなっちゃっているのではないでしょうか。

いまでも、もう、
島田雅彦くらいまでは、学校の先生ですよ。
学校の先生をしなければ、やってられない。
田中康夫も、知事をしなければ、やっていけない。
そういうふうに、なってきていますね。
書くだけでいいというのは、両村上とか・・・。
糸井 つまり、希有な存在ですよね。
吉本 そこまで、
中堅の作家でも売れ行きが詰まっていますから、
ましてや、そのほかの多くの作家は・・・。
糸井 むつかしいんでしょうね。
吉本 活字を記号で表現して、
それを読んで、というプロセスは、
なかなか、面倒くささがありますから、
そういうものを、いまは人が、あまり
買わなくなっちゃってるんだろうなあ、
と思います。

新聞はこれからどうなるんだというと、
まあ、わからないけれども、
朝日なんかは、前はもうえばっていて、
傲然としていましたけれども、
そうではなくなってきましたよね。

昔は、朝日新聞と言えば、
新聞を取ってくれませんか、なんて
勧誘に来たことはなかったのですが、
この2〜3年は、来るもんね。

前は、そんなことをしなくても
客がついていたのだろうけれども、
「こりゃ、あぶねえんじゃねえか」
というか、だんだん減ってきて、
危機感を感じているから勧誘をしているのかなあ、
と、ぼくなんか、思いますけれども。
糸井 はい。

(つづく)

2001-07-31-TUE

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