magic
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『遠きにありて想うもの』


夏の熱い日差しを浴びると、なぜか故郷を想う。

子供の頃の夏は、毎日飽きもせず川遊びだった。
水は温んでいて、
泳ぐと魚の群れにぶつかってしまうほど豊かだった。

そんな故郷を離れ、東京という都会に住んで
早40年以上が過ぎてしまった。

今年のお盆も、帰れなかった。

故郷には95歳になる父と、姉二人がいる。
どうやら皆、元気に過ごしているようだが。

いつもこの時期になると、
「母にも父にも、例えば海外旅行とか、
 東京見物とかをしてもらえばよかったかな」
なんて思う。

でも、とうとうそんな親孝行もできずに、
母を見送ってしまった。
父も高齢で、長旅など
かえって親不孝になるかもしれない。

それでも、美味しいものに出会った時など、
「母にも食べさせればよかったかなぁ。
 父は、こういうもの、好きだったかなぁ」
なんて考えてしまう。

思えば、母とも父とも多く話し合った記憶がない。

帰郷する時、母に何か欲しいか、聞いたことはある。
しかし、母の返事は、
「なぁんも、いらんよ。
 欲しいもの、別にあらへんなぁ」

私は昔から気が利かない息子で、
あぁそうですかと手ぶらで帰郷するのが常だった。

もっとしつこく話し合えばよかったと、
今頃になって思う。

卒業してマジシャンになることも、
一度だって父母と話し合わなかった。
その他のことも、事後承諾で済ませてしまった。

今になって、父母は私の人生に
何を望んでいたのだろうかと考えたりする。

公務員になってほしいとか、
あるいは学校の先生になってほしいとか、
考えていたのだろうか。

しかし、目の前で私のバカっぷりを見ていたのだから、
そんな望みはなかっただろうとも思える。

プロのマジシャンになるなんてことも、
想像すらできなかったことだろうし。

結局は、
「子供には、ちゃんと食べさせ‥‥。
 子供には、しっかりと教育を‥‥。
 子供には、いい人生を‥‥」
そんなことだけを考えてくれていたに違いないと、
今更ながら勝手に推測するばかり。

マジシャンになり、大いに心配をしたのかもしれないが、
曲がりなりにも生活ができているのを耳にして、
「人様に話もできないような暮らしでもなさそうだし、
 まぁ、元気でいるなら、いいかぁ」
そんな風に、私なりの人生を
認めていてくれていたと思いたい。

私も不肖の息子ながら、
「母の人生は、満足のいくものだったに違いない。
 まだ私が小さかった頃は、なんだかんだ、
 ぼやく母ではあったけれど、
 晩年は幸せだったよね、きっと」

「父ともまるで話せないままだから分からないけれど、
 私の来し方を認めてくれてるし、
 行く末も案じていないよね」

そう思っては、いる。
いや、そう思いたい。

私の最近のステージでのしゃべり始めは、
「まだやっているナポレオンズです。
 今年で結成40周年、すごいです。

 何がすごいかって、大した芸もないのに40年、
 やってこれたんですから」

久しぶりに帰って、父にも伝えてみようか。
「まだ不肖の息子です。
 なんと今年で親子関係65周年、すごいです。

 何がすごいかって、大したお返しもしないのに
 やってこれたんですから」

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2017-08-27-SUN
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