magic
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『あなたは大丈夫だから』


私には師と仰ぐ人がいた。
師は96歳で、今年も師の名を冠したパーティを
盛大に執り行う予定だった。

「100歳までは、続けられると思うのよ」
私たちも、師ならば100歳なんて軽いものと信じていた。

しかし、師は突然に亡くなられてしまった。
私は未だ信じられず、
毎日毎日師の言葉を思い出している。

「そうねぇ、
 最近は機嫌良く過ごすことに努めているわねぇ。
 ホラ、時々ね、考え事をしているとね、
 いつの間にかこわい顔をしている時があるでしょ。
 だから、口角を上げてね、
 嫌な顔をしないように心がけているのね」

師の家には、キッチンにもリビングにも
綺麗に磨き上げられた鏡がある。
いつも鏡を見て自らの笑顔チェックをされているのだ。

「だから、今日も機嫌良く、
 美味しくランチをいただきましょうね」
年に数回、私をランチに招いてくださる、
実に心優しい我が師。

我が師は、いつも着物姿である。
お着物にはさりげなく季節が装われていて、
何も知らない私にも易しくレクチャーしてくださる。

師がいつも利用されるレストランは日本在住の米国人、
それも米国政府関係者用らしく、店内は外国人ばかりだ。
そこに着物姿の師が登場すると、
スタッフの皆さんは大変に丁寧な対応をしてくれる。

これも、師の凛としたお姿から滲み出る
人間力なのであろう。
「やはりね、着物は日本の文化、
 歴史そのものであってね。
 それを敬い学ぶことは、私には楽しいことなのね」

師は京都のご出身で、若かりし頃から着物の染め、
紋章、袱紗(ふくさ)などについて
学んでこられたという。

「いや、それも好きこそものの上手なれでね、
 袱紗にもただ包むだけではなくて、
 掛ける、乗せるという作法があってね。
 作法というと堅苦しいけれど、
 ちゃんと意味があって‥‥」

師はお見合い結婚なのだそうで、
「私の父がね、どんな方も書類審査で落としてしまって。
 だから、なかなかお見合いまで進まなくてね。
 
 当時はね、お見合いは京都の料亭でするのが
 普通だったから、私は父のせいで
 たくさんのご馳走を食べ損ねたのよ、ふふふ」

お見合い結婚をされて後、
1960年代に旦那様の仕事で
ロンドンに5年間滞在されたという。

「庭に大きなリンゴの木があって。
 20人は座れるテーブルで
 ローストビーフ、サーモンなんかをいただいて。
 
 ところが、主人の仕事先の日本人の方々は
 お茶漬けとかみそ汁が食べたいと。
 当時はたくわんとか油揚げの缶詰があって、
 それを送ってもらって間に合わせたり。

 時にはクレソンを塩漬けにして
 漬け物のような味付けにしてみたり」

そんな経験をされたゆえか、
師のランチはいつも洋食である。

「ここは、お肉が美味しいからステーキよね。
 ハンバーグ、シチューも美味しいのよ」

テーブルにステーキ、ハンバーグ、シチューと、
肉ばかりがズラリと並ぶのであった。

それらの肉料理を、我が師はご機嫌良く召し上がる。
師の並々ならぬエネルギーの源泉は、
どうやら肉食にあるらしい。

師を前にすれば、私など
空きっ腹を抱えた若造に過ぎず、
師みずから切り分けた肉が私の皿に山盛りになる。

「ロンドンには65の劇場があってね。
 私は英語の勉強を女優さんに教わることにしてね。
 その女優さんのアドバイスで芝居を観たりしたわ。
 
 舞台美術の学校にも聴講生として通ったのね。
 すると、私が京都で習った着物の染色、
 その技術を教えてほしい、
 日本から持ってきた紋帳、
 紋章の辞書みたいな本ね。
 それも見せてほしいってね。

 私は、英語を教わる生徒から
 染色やデザインを教える先生になってしまって」
師は、海の向こうでも誰かの師であったのだ。

「私はサプリとかは飲まないけれど、
 美しい帯や着物を見ることが
 どんなサプリよりも効果があるみたいね。
 買わなくてもいい、
 手に取って見るだけで元気になるのよ」

師はいつも私のマジックを心配そうに観てくださった。
周りの人が笑うと、
師もやっと安心したように笑顔になられた。

「あのね、あなたは大丈夫だからね。
 心配しないで、笑顔でおやんなさい」

先生、これまで本当にありがとうございました。

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2016-12-04 -SUN
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