MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『ハンモックに揺られて見る夢』

スリッパがずいぶんと薄くなった。
お気に入りのスリッパだったが、
長らく私の角質化して荒れたかかとに削られて、
ペラペラになってしまった。

新しいスリッパを探しに、デパートに向かった。

すると、アート感たっぷりにリニューアルされた
フロアーの一角に、色鮮やかなハンモックが
展示されているではないか。

様々なグリーンを背景に、
ゆらりゆらりと揺れるハンモックに、
私は思わず目を奪われてしまった。

「どうぞ、横になってみてください」
フィギアスケートの高橋大輔選手によく似た若者の
誘いに乗って、私はハンモックに腰をかけた。

「どうぞ、そのまま横になれますよ」
ハンモックの真ん中に腰を降ろし、
そのまま広げながら横になる。

ハンモックと人間が十字になるように横になる。
ハンモックにそのまま乗ると、
体がくの字に曲がるのに対して、
十字の形に寝ると、ほぼフラットになるのだった。

ハンモックがゆっくりと揺れて、かすかに風を感じる。
若者が囁くように、
「僕は、あまり広くない部屋に住んでるんですけど、
 夏はハンモックに寝てるんですよ。
 で、下から扇風機を当てるんですよ。
 そうすると、エアコンなんていらないですよ」

私はハンモックに揺られながら、
目を閉じて彼の声を聞いていた。
ハンモックの下から扇風機の緩やかな風が吹くことを
想像し、真夏の昼下がり、
ハンモックでうたた寝をする自分を夢想した。

「これは、いいなぁ。
 そうそう、去年のあの堪えられないほどの暑さ。
 だけど、エアコンを使うのは省エネ、
 節電の観点から躊躇するし。
 扇風機の弱い風なら、ちょうどいいかもなぁ」

どれほどの時間が経っただろうか。
目を開けると、グリーンを背景に
若者がにっこりと微笑んで、
「降り方もあるんですよ。
 両手を横に広げていただいて、
 そのままハンモックを押す
 ようにしてみていただけますか」

まるで魔法のように、
ハンモックから起き上がることができた。
「腰掛けたまま、ブランコのように揺らしながら、
 ビールかなんかを
 メキシコの人たちは飲んだりしてますね。
 うらやましいですよね」

私も揺られながら、冷たいビールの喉越しを想像した。
その時点で、私はハンモックの購入を決意していた。

だが、問題は金額である。
いったい、ハンモックというのは、いくらなのだろう。
メキシコ製? 
輸入品?
高い?
それとも安い?

私はハンモックを降り、ダイレクトに訊いてみた。
すると、意外なことに、安いのだった。
1万円もあればお釣りがきそうなお値段であった。

そうなると、買わないという選択は完全に消え去り、
「じゃ、この夏はハンモックで
 扇風機の風に当たりながら、
 ビールを飲むことにします」

本物の高橋大輔選手としか思えなくなった若者は、
「ありがとうございます。
 では、取り付け用の金具は、どれになさいますか?」

そうですよ、森の中のならば
ハンモックは木に結べばいいのだが、
あいにく我が家に木は植わっていない。
木の代わりの柱、あるいは天井に
金具を付けるしかないだろう。

「えぇっと、専用の金具は3種類ありまして。
 ただ、このふたつは、なんというか金属の擦れる音、
 キィキィという音が、少し気になるかも・・・」

金具のキィキィ音はイヤだ。
となれば、3番目の金具しかないではないか。
で、おいくらでしょうかと手に取れば、
ハンモックよりずいぶん高いではないか。

高橋大輔選手は、まるでジャンプを失敗して
転んでしまった後のような表情になりながらも、
「それと、ですね、長さが不足する場合があるので、
 予備のロープもご用意された方が‥‥」

そりゃそうだとロープを手に取れば、
金具に比べれば格段に安いような気がするものの、
ただの白いロープで、なんだか寂しい。

すると、若者が美しく編まれたロープを持ってきて、
「実は、これがこのハンモック専用のロープでして。
 だから、ハンモックと同じ色、風合いのものなんです」

こいつも高価だった。
なんだかんだいって、ハンモック本体よりも
付属品の方が圧倒的に高いではないか。

しかし、ハンモックに揺られながらビールを飲み、
扇風機の風を背中に当ててうたた寝をする光景が、
私の脳裏に深く刻まれてしまっている。

私は観念するように、
「まぁ、必要なんだからね、全部、買います。
 なんだか、気に入っちゃいましたよ。
 貴方のプレゼンがめちゃめちゃ心に響きましたよ」

ハンモックは専用の袋に入れられ、
金具と専用のロープも収められた。
私はハンモックの大きな袋を抱え、
駅に向かいながら気づいた。

「スリッパを買うのを忘れた」

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2015-04-19-SUN
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