MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『続・高所恐怖症』

大学で真面目に勉強しているはずの私は、
いつしか消息不明の馬鹿息子になっていました。

親は困り果てて、学校に問い合わせたようです。
それで、キャンパスの掲示板に
私の名前が載りました。

「おい、お前の名前って変だから、
 同性同名の別人てことはないよな。
 お前の名前、掲示板に出てるよ」

そう言われて見てみると、

『右の者、事務局に出頭せよ』

親にも私の堕落振りがバレてしまったのでした。
しかし、親はただ、
「人に迷惑をかけるなよ」
と言うのみでした。

親のひと言が身に滲みました。
私はついに一念発起、といっても
パチンコを止めたわけではありません。
必死に、真面目に取り組んだのです。

あの時代は、毎日のように通って研究すれば
なんとか勝てて、お金は稼げたのです。
しかし、勝とうと思えば体力勝負なのでした。
楽しい遊びは、いつしか過酷な肉体労働になりました。
面白い台ではなく稼げる台を探し、
楽しむどころか冷静かつ必死に
台に向かったものでした。

かつての遊びが仕事になりました。
お金を稼ぐために必死に時間と体力を費やしました。
もう、熱くもならず高揚もしません。
ただひたすらに、黙々と働くのでした。

甲斐あって少しずつ稼ぐことができ、
辞書、参考書を買い、免許も取得できました。
なんとか、元は取れたというところでしょうか。
当時はギャンブル全般が今ほどハイリスク、
ハイリターンではなかったからでしょうか。

お金がまったくない私を、
無期限で居候させてくれる友達もいてくれました。
陽も射さず雨漏りする部屋でしたが、
彼の田舎から送ってきた米を食わせてくれる、
ありがたい友でした。

私はご飯を炊き、納豆をかき混ぜ、
ネギを刻んでみそ汁を作りました。
友はアルバイト先から帰り、私の用意した夕飯を、

「お前って、器用だなぁ。
 旨いよ、みそ汁。
 俺の母ちゃんより旨いよ」

などと言いながら、食べたものでした。

そんな暮らしぶりでしたから、
私は就職活動なんてできるはずもなかったのです。
それどころか、卒業するだけで精一杯でした。

卒業時期にはなんとか居候を廃業し、
卒業もしたのですが、
まともな就職口は見つかりませんでした。
同級生が次々と立派な社会人になっていくのに、
私には一寸先の未来も見えなかったのです。

それでも、私に声をかけてくれる人もいて、
なんとか働き始めることになりました。
皮肉なことに、この仕事はこれまで以上に
ギャンブル性の高いものでしたが。
それでも、負けまい泣くまいと夢中で働いてきました。

少しだけ落ち着いた暮らしができ始めると、周囲から、

「もうちょっと上を目指せよ。
 お前は、目の前に立派な階段が見えているのに、
 ちっとも昇ろうとしない。
 それどころか、急に背を向けてしまうんだよ。
 もっと、今よりもっと高いところを目指せよ」

などと言われたりします。
そんな時、私はいつも、

「すみません。
 実は、生まれながらの高所恐怖症なんです」

そう答えることにしています。

                ( おわり )

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2014-05-18-SUN
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