MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『冬の蜃気楼』


携帯が鳴った。
懐かしいH氏からの電話だった。
会わなくなって、もう何年になるだろうか。

H氏はプロデューサーで、
以前は様々なテレビ番組を制作していた人物だ。
時にはディレクターになり、
一緒に地方ロケに出かけたりしたものだ。

仕事以外でも、親しくお付き合いをさせてもらった。
多い時には週に5日、6日、打ち合わせとか番組の
企画会議とか、適当な理由をつけて飲み歩いたものだ。

H氏は仕事中毒で、いつも仕事のことばかりを
考えていた。
飲んでいても、話題は番組のことばかりだった。
それでも、私とは妙に気が合うのだった。

事情は分からないままだが、H氏は急に
仕事の現場から姿を消してしまったのだ。
私にはたまに電話をくれて、会って飲んだりはした。
ただ、仕事のことは話さなくなっていた。
私もあれこれ聞いたりせず、
世間話などをしながら飲んだ。

仕事の現場を長く離れているH氏は、
さすがに老けて見えた。
プロデューサーとして、あるいはディレクターとして
矢継ぎ早やに指示を出していた頃のH氏は、
心身ともに若々しいエネルギーに満ちていた。

「ちょっと、具合が悪くなってね。
 医者にも診てもらったんだけれども、
 ストレスとか過労のせいとか言われてね。
 ナントカ症候群、なんて診断されてさ」

すぐに治る病でもなく、即効性のある薬も
ないとのことで、仕事を休んでのんびり暮らすことが
いちばんの治療法との診断だったらしい。

その後、会えなくなってしまい、長い年月が過ぎた。

そんなH氏からの、突然の電話だった。

「へへへ、もう声も忘れてるんじゃないの?
 俺だよ、元気ぃ?
 俺は、もう、いつものようにバリバリ、元気だよ」

久しぶりに仕事を再開して、慌ただしい日々らしい。

「どう、そっちの仕事の方は。
 久しぶりに、一緒に面白いものやってみようよ。
 てぇことで、会って話そうや」

新宿駅前の道路に、H氏の車がやってきた。
昔のままのスポーツカーだ。
見た目はかなりの高齢者のようになられたが、
精悍な眼差しは健在だった。

「久しぶりだねぇ。
 ご覧の通り、爺さんになったけれどさ、
 気持ちも体も昔のままだよ。
 スピードだって昔みたいに出すけれど、
 安全運転にこれ努めるからさ」

助手席に乗るやいなや、
エンジン音を響かせて車は走り出した。
確かに昔のまま、荒っぽい運転だ。

「久しぶりにさぁ、ドラマをやることになってね。
 今回はプロデューサーをやれって言われてさ。
 まぁ、勝手にディレクターも
 やっちゃおうと思っているんだよ。
 そうなると、君にも出てもらいたいじゃん」

 別に今風のドラマにしようなんて考えてないよ。
 もちろん、今風に撮れって言われてもできないしね。
 だから、昔の、得意ネタに持ち込もうってわけだよ」

車は増々スピードを上げ、H氏は語り続けた。

「役者はいつもの◯◯と□□でね、
 そうそうあいつも、そうだ、あの子は、
 どうしてるかなぁ。
 へへへ、今風のタレントは使わないんだよ。
 なんせね、今の子は名前も覚えられないんだよね」

ドラマだけではなく、ドキュメンタリーの企画も
あるのだと、H氏の声は
エンジン音に負けないほどに力強い。

車はいつしか高速に乗った。
スピードのあまり、体がシートに
押さえつけられてしまう。
何台も車を追い越し、
鋭いハンドルさばきで体が左右に揺れる。
本当に、昔のままだ。

「そうだ、このままロケハンてのは、どうかなぁ。
 もう少し先に、ほら、昔ロケした湖があったよな」

H氏は、熱く語り続けている。
私も、昔のようにただ黙って聞いていた。

車が湖に近づいた頃、ふと疑問がわいてきた。
H氏の言っている◯◯、まだ存命だったかなぁ?
□□って、もう何年か前に亡くなったんじゃぁ‥‥。

湖が見えてきた。

「そうそう、あそこでロケやったよな。
 その時だよ、あいつがボートに乗ろうって言って。
 そいで、湖に落っこちて、大騒ぎだったよな」

車は高速を降り、湖に向かってスピードを上げた。
ボート乗り場が正面に見える。
さすがにこの季節、湖にはひとりの姿も見えない。

「へへへ、ほらほら、いるよ◯◯が。
 おいおい、□□も手招きしてるよ。
 あっ、あいつもいる」

えぇっ?
誰もいませんよ。
ボート乗り場の柵だって閉まってるし。

車は更にスピードを上げ、
そのまま柵を突き破って
湖に飛び込んだ。

私は飛び込む寸前にシートベルトを外し、
ドアを開けて脱出を試みた。
なんとかドアのすき間から出て、水面に向かった。

浮かび出た頃にはほとんど意識がなかったが、
係留されていたボートのオールを掴むことができた。
オールにしがみついてボートに上がり、
桟橋の上に辿り着いた。

どれほどの時間が経ったのだろう。
どこからか人が出てきて、私を毛布に包んでくれた。
濡れた頭をタオルで拭いてくれる人もいた。
私はその時初めて、生きていることを実感した。

「車の音が聞こえて。
 その後、なんか、すごい音がしてね。
 今時、人なんて誰も来ないし。
 変だなぁと思って、見たら‥‥」

「で、やっぱり、車は飛び込んじゃったの?
 乗ってたのは、あんた、ひとり?」

深くて透明度の高いので有名な、この湖。
私は何かをしゃべろうとするのだが、声が出ない。
抱きかかえてくれている人を引っ張るようにして、
桟橋から湖を覗き込んだ。

H氏が、湖の底にかすかに見えた。
ドアに足首を挟まれているのだろうか、
体は完全に外に出ているのに、
浮かんでは来られないようだ。

H氏の体がゆらゆらと揺られている。
前に突き出した両手も、ゆっくりと揺れている。
ドラマ撮影の現場でスタッフに指示を出す、
あの日のH氏のように。

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2013-12-22-SUN
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