MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『まだ、やっている』


ラジオ局主催のホール寄席に出演することになった。
会場のキャパはなんと1800人、
大も大、巨大ホール寄席であった。
楽屋入りする頃にはスタッフの方から、
「本日は満席でございます」
という、ありがたい情報が聞こえてきた。

通常のホール寄席だと、
キャパは400人から700人くらいだろうか。
少ない時には200人くらいの小ホールだったりする。
200人でも700人でも1800人でも、
やることに変わりはまるでないのだが、
どこか違う雰囲気を感じてしまう。

1800人という大観衆を目にすると、やはり熱くて
大きな期待感のようなものを感じるのだ。
200人くらいだと観客のそれぞれが個のままなのだが、
1800人ともなるとひと塊の巨大な生物のように
見えてきてしまう。
ステージに登場すると、
その巨大な生物がステージごと飲み込もうとするような
エネルギーに圧倒されそうになる。

あがってしまう訳ではないのだが、飲み込まれまい、
負けてはならないと、ついつい叫び口調になってしまう。
だが、最初に登場したD師匠は堂々たるもの。
いつものように飄々と現れ、淡々としゃべり始める。

少し遅れてD師匠と合流するのは司会のRさんとTさん。
D師匠の毒舌を中和するかのように
丁寧かつ穏やかな進行ぶりで、
1800人という巨大生物もやや落ち着いた状況になった。

司会者さんに紹介されて登場したのは、漫談のMさん。
ピエロ芸人、パントマイム芸人という印象があったが、
今や毒舌漫談家という顔も合わせ持つ
マルチな芸人さんなのだ。

楽屋入りした時のMさんは、
大きなトランクを転がしていた。
「あれ、Mさん、今日は漫談でしょ。
 何なの、その大きなトランクは」
Mさんが答えて、
「ピエロの時からのクセなんでしょうね。
 化粧道具とか衣装とか、楽屋で着る服まで、
 持ってないと不安なんですよ。
 で、いつもこんな大きなトランクなんですよ、へへへ」

普段は穏やかなMさんが、ステージでは1800人に
負けないエネルギーを発散するから不思議だ。
放送ならばピーピー音が鳴りっぱなしであろう
危険な話題をまくしたてる。
最後は、アナウンサーが真面目に読むニュース原稿に
合わせたデタラメ、時に卑猥なパントマイム。
場内は大爆笑、大喝采。

続いては漫才のp&pさん。
D師匠のたまわく、
「あんまり大爆笑が続くとさ、お客も疲れるだろ。
 だから、pたちでちょっとお休みするんだよ。
 いい塩梅に客を冷ましてくれるんだよ、がっはっは」
本人たちを前にして堂々とおっしゃるのだった。

前半のトリはK師匠。
落語家歴70年を超えた、まさに大御所は、
「この歳になるとねぇ、あちこちが痛くなりまして。
 お医者さんに行っても、
 老化現象という診断しかもらえない。
 風邪引いたってお腹こわしたって、老化現象」

中入り休憩を挟んで、いよいよ我らの出番である。
持ち時間は15分、あれこれのお笑いマジックで
ご機嫌をうかがうものの、やはり観客の驚きは、
「変わらないわねぇ、あなたたち」
それだけなのであった。
良いのか悪いのか。

続いて、D師匠と我らの大恩人である
E先生との芸談が始まった。
薄闇の中の灯火のような、生きている証しの体温、
その温もりのようにほのかな、穏やかな語らい。
それでいて、なんだか可笑しい四方山話。

芸人たちは皆ひとりぼっちで生きているけれども、
芸だけじゃない、伝えたいことがあって、
声を上げ続けている。
そして、それを聴いてくれる人がいて、
「俺たちゃ、まだまだ続けるよ。
 なぁEさん、またやろうよ。
 聴いてくれるよなぁ、みんな」
観客も温もりの拍手で応えてくれるのだった。

大トリは上方のB師匠。
創作落語をたっぷり。
E先生いわく、
「ストレートも変化球も、自在に投げ分けてて。
 聴き惚れました」

終演後、楽屋にある差し入れをお持ちくださいと
紙袋を渡され、どら焼きと菓子箱をひとつずつ入れる。
その紙袋と鞄を持って、打ち上げ会場に移動した。

打ち上げもお開きとなり、
家に帰って紙袋の中身を出してみた。
弁当箱がひとつ、どら焼きが3個、菓子箱、
ペットボトルのお茶と水も。
どうやら、別の誰かの紙袋を間違って渡されたらしい。
僕の紙袋を渡された誰かは、
きっと今頃くやしい思いをしているに違いない。

「ごめんね、どら焼き1個と菓子箱だけで。
 さぞかしガッカリだろうけれど、
 ねぇ、また一緒にやりましょうよ」

僕は心の中で、どこかの誰かさんにささやいていた。

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2013-12-01-SUN
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