MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『痛みを越えて』


携帯が鳴った。
相方からだった。
「あのさぁ、昨日、
 右の人差し指を切っちゃったんだよ。
 だから、今日は、指先のマジックは
 できない状態でね。
 どうしたら、いいだろうか?」

どうしたらいいか?
どうしようもないだろう。
「でね、最後を
 人体浮遊術にしてほしいんだよ。
 いつもの、トランプのは、無理なんでね」

怪我自体は大したことはないらしい。
血は止まっていて、包帯を巻き、絆創膏で止めている。
ただ、その指先でマジックをしていると観客に、
「あれれ、指先に何か付いてるぞ。
 あれが怪しいなぁ」
などと、あらぬ疑いをかけられてしまうのだ。

マジシャンには、それが一番困る。
鋭くタネを追求されるのも困るが、
まるで的外れな納得をされるのはもっと困るのだ。

高座に上がってすぐに、
「今日は指先に怪我をしていて、
 絆創膏を貼っていますが、
 これは別に怪しいものではありません」
そう説明するという手もあるが、そうなると、
観客の目が余計に指先の絆創膏を見てしまう。

薄い絆創膏を巻いて目立たなくして
マジックをすることも考えたが、
傷口を刺激して血が滲んできたら
更に怪しい状況に陥ってしまうだろう。

以前のこと、やはり指先を怪我していたが、
無理矢理指先のマジックをして傷口が開いてしまった。
相方は突然、
「ダメだ、血が出てきた。
 あと、頼むよ」
そう言い残して高座を去ってしまったことがある。

持ち時間はまだたっぷり残っていた。
ひとりになった私は、
テーブルにあるマジック道具を引っ張り出し、
「さぁ皆さん、このマジックは一体、
 どんなマジックでしょうか?
 あたしにもサッパリ分からない」
などと、必死にごまかし続けたのだった。

あれこれ思案した結果、
今回は指先のマジック以外で行くしかない
ということになった。
だが、マジックのほとんどは指先を使う。
指先や手を使わないマジックなど
存在しないに等しいのだ。

ただ、おしゃべりマジックという、
指先はほとんど必要なく、
口先だけでよいというマジックがある。
そんなおしゃべりマジックだけで、
なんとか高座を務めればいいのだが、
あいにくと今日は高名な師匠ばかりが出演する
落語会である。
そこに我々が出演させていただくとあれば、
適当なマジックでお茶を濁すというわけにもいかない。
今を盛りの師匠たちが同じ高座に上がるとなれば、
芸の熱い火花が散るのは必定なのだ。

我々も、いつも以上のウケを狙わなければならない。
相方は、
「だからさぁ、最後の人体浮遊術で、
 ドッカァ〜ンと
 ウケるしかないよなぁ」
と、今日の責務を全部私に委ねるのであった。

人体浮遊術というマジックは、
私が長テーブルに仰向けに寝ていながら、
布をかけられると
フワリフワリと浮いてしまうマジックだ。
詳しくタネを説明するわけにはいかないが、
すべて私の体力にかかっている
イリュージョン・マジックなのだ。

イリュージョン・マジック、
つまりは大掛かりなマジックの一種である。
このマジックは、実はニューヨークの大道芸師から
教わったもの、正確に言えば、買ったものなのだ。

公園の広場に布を敷き、男が仰向けに寝る。
もうひとりの男が、大きなシーツのような布を
寝ている男にかける。
なにやら呪文を唱えると、寝ている男の体が
フワフワと浮いてくるではないか。
演じているのは公園の広場、
仕掛けなどできないはず。
使うのは2枚の布だけで、
他に怪しいものなどない。

大道マジックを終えると、
男たちはなにやら紙片のようなものを
売ろうとしている。
「トゥー・ダラーズ」
そう言っているように聞こえる。
どうやら、今見せた人体浮遊術のタネを描いた
メモ紙を2ドルで売っているらしい。
私はすぐに購入したのだった。

私の人体浮遊術は2ドルで購入した、
おそらく世界で
一番安いイリュージョン・マジックなのだ。

私は、家でトレーニングを開始した。
とにかく、私の体力だけが頼りの大ネタである。
スクワットや腕立て伏せなど、いつもより余計に
繰り返した。

楽屋入りして、更にトレーニングを繰り返した。
すると突然、腰のあたりに違和感を感じた。
その違和感はすぐに痛みと変わり、
うずき始めたではないか。
私はヤバいと思い、相方に告げようとした。

だが、相方はすべてを私に委ねて安心しきった表情で、
ぼんやりとしていた。
指先のマジックもしないので事前の準備もなく、
鏡の前でほうけている。

私は言葉を飲みこんだ。
こうなれば、腰の痛みさえも飲みこんで、
いつもより余計に浮くしかないと、
心の中で決意していた。
袖から三味線の軽やかな音色が聞こえてきた。

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2013-11-03-SUN
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