MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『続・撮影日』


『なんということだ、
 セリフがひとつも口から出てこない。
 いや、覚えていないわけはない。
 あれほど何度も声に出して練習したではないか。
 それなのに、頭の中の、どこにもセリフがない。

 相手の俳優さんは、
 まだ僕のセリフを待ってくれている。
 僕の心の底を覗き込むように、じっと見つめている。
 その顔を見つめ返してしまって、
 増々セリフが出てこない。
 監督は待ちきれないように、
 何度も体を前のめりにしている。

 それなのに、セリフはひと言も出てこない。
 何も出てこない。
 もうダメだ、僕はやっぱり、しくじった。
 
 監督の顔が僕に迫る。
 激しく罵倒されているのだろうけれど、
 不思議なことに何も聞こえてこない。

 もう、いい。
 僕はもう、終わりだ』

そこで、目が覚めた。
夢だった。
とんでもない悪夢。
こんな夢を見たのは初めてだった。

目が覚めて夢だと分かっても、夢でよかったと
安堵などできなかった。
僕は重圧に押しつぶされているのだと、
無理矢理に思い知らされたのだ。

これまでいくつかのドラマに出演し、
様々な役を演じてきた。
古レコード店のマニアックな店員、マジック好きな刑事。
時代劇では、見世物小屋の太鼓叩きだった。
お笑い舞台劇では、ヒロインの恋人役という
二枚目の役を初めていただいた。
売れた漫才師の役では、
派手な外車に乗って若手芸人たちに
気前良く小遣いを渡すという、
現実とは相当に違う芸人像を演じたこともある。

それでも、これほどのプレッシャーを感じることは
なかったと思う。
失敗する悪夢のようなものを見ることはあったが、
これほど現実味のある悪夢を見ることはなかった。

いつも見るのは、仕事に間に合わない夢だったり、
ステージに立っているのに肝心のネタを忘れた夢、
いつものネタなのにまるでうまくできない夢など。
なぜか、ズボンを履かずに
ステージに立ってしまった夢、
女性ばかりの客席なのに
ズボンのジッパー全開の夢もある。
今にして思えば、なんとものどかな夢ばかりだった。

「はいっ、次はシーン12です。
 セット変えますので、一旦退出願います」

スタッフの声で、いきなり現実に引き戻された。
僕は次のシーンを待つ間に先日の悪夢を思い出し、
これまでの苦い経験を反芻していたのだった。

ふと共演者の皆さんを見れば、誰もが世間話に興ずる
こともなく、ただ押し黙って次の指示を待っている。
僕と同様に過去を振り返ったりしているのだろうか、
それとも次のセリフを鋭く磨いているのだろうか。

役者さんがマジックを実演するシーンがある。
そのマジック指導を、A君が担当している。
A君と僕とは、なんと彼が小学2年生の頃からの
知り合いなのだ。
正真正銘のマジック・マニアの彼は、
いつしか僕と同じプロ・マジシャンとなり、
今回はマジック指導を担当している。

A君は、撮影の合間になると
誰彼なしにマジックを見せている。
スタッフも役者も異様な緊張感をみなぎらせている中で、
A君だけがこの場の空気を楽しみ、
皆を驚かせては幸せそうな笑みを浮かべている。
小さな部屋に充満している緊張が、少しだけ緩む。
『向かうところ手品師(敵なし)』という
ジョークがあるが、まさにA君こそが無敵の手品師、
マジシャンなのであった。

気弱なマジシャンである僕は、
マネージャーに預けていた台本を読み返した。
もうセリフは頭の中にある。
今頃になって読み返す必要などないのだ。
だが、再びあの緊迫した空気の中に戻る勇気を得るために、
セリフを大声で叫びたい心境なのだ。

外はとうに暗い。
僕はスナックの看板のほの暗い明かりを頼りに、
台本のセリフを追い続けた。

撮影が再開された。
役者さんたちはすでに物語の登場人物になり切っている。
照明が当たり、役者はギラギラとした夜の目になっている。
「シーン12、用意、はいっ!」
最初のセリフは、僕だ。

はたして、僕の目はギラついているのだろうか。
僕のセリフは、言霊の叫びになっているのだろうか。
小さなナイフとなって、何かを切り裂けるのだろうか。
「はいっ、OK」
の声は、いつまでも聴こえてこない。

                    (おわり)

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2013-09-01-SUN
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