MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『夏の忘れもの』


僕は、いつも忘れものをする。
携帯を忘れ、財布を忘れる。
他のものはともかく、
携帯と財布はないとどうにもならない。
駅に着いて財布がないのに気づき、
家まで戻ることもしょっちゅうだ。

傘とか帽子とかサングラスとか、どこかに忘れてきて
しまったものは数知れない。

忘れるのは、物だけではない。
先日は、マジックのやり方を忘れてしまっていた。
ステージに立ち、あれこれのマジックを順調にこなし、
いよいよ女性の首に剣を刺す
『美女のブスブス』に取りかかろうと剣を持ったとたん、
やり方を忘れているのに気付いたのだ。

この時は、こういうこともあろうかと
解説書を持っていたから助かった。
僕は解説書を読みつつ、慎重に剣を刺した。
もし刺し方を間違えれば、女性は、
「痛い、本当に刺さってるぅ、痛い〜」
などと叫ぶに違いない。

何度も解説書に目をやって、
「えぇ〜っと、あぁ、そうだ、こっちだったな」
独り言のようにつぶやきながら、
女性の細い首に剣を刺した。
幸いにも剣はどこも痛めることなく、
女性の首を貫通したのだった。

ステージに鞄を置いて、ハトの出るハンカチや
トランプなど、マジックの道具を入れておく。
本当はマジックにも順番があり、ハトの次はステッキ、
次はトランプというふうに決めている。
ところが、いつもその順番を忘れてしまう。

それで、始めからマジックの順番など
考えないようにした。
その場で、適当なマジックを選ぶのだ。
それでも、大した不具合は感じない。
忘れるのを恐れるなら、
始めから段取りなど決めなければいいのだ。

以前、あまりに忘れものが多いことを不安に思い、
脳の研究家の先生に訊いたことがある。
先生によれば、

「忘れるということは、脳が次の関心事に
 移ってしまうということでもあります。
 前の関心事を忘れてしまうのではなく、
 脳が自由に活動して
 思考が次に移行しているということもあります。
 つまり、脳が衰えたから忘れるのではなく、
 脳が活発に動くからこそ、
 前のことを忘れるのでしょう」

なんだか、ありがたいお言葉ではないか。
忘れっぽくなるというのは
脳の老化などではないかもしれないのだ。

子供の頃も、よく忘れものをしたものだ。
夏休みの宿題、粘土で作る自画像を
すっかり忘れてしまい、最後の一日に必死に作った。
慌てて作ったので、出来上がりは粗末なものだった。
そいつを学校に持って行く途中で落とし、
像の後頭部がぺったんこになってしまった。

ますます不細工な像になってしまったが、
仕方ないと諦めて提出をした。
ところが先生は、

「おい、小石。
 後頭部の絶壁が、リアルだなぁ。
 うん、良くできてるなぁ、お前の絶壁なとこ」

意外な高評価に、僕はただ呆然と立ち尽くしていた。

今年は、短い夏休みをもらって
故郷に帰ることができた。
高齢の両親は、それぞれに具合の悪いところを
ぼやきながらも、まぁまぁ元気でいてくれた。

早めの夕食の後、僕は持ってきたパソコンを開く。
父母の好きだった懐かしい歌手の名前を聞き、
それらを入力する。
すると、パソコンから父母の懐メロが
映像を伴って流れてくるのだ。

父は酒を呑みながら、母はお茶をすすりながら、

「ほぉ〜、懐かしいなぁ。
 こんなもんが見れるとは思わなんだなぁ。
 えぇなぁ、えぇ機械やなぁ」

父母は次々に思い出の歌手の名前を告げる。
僕はそれらの名前を入力し、
もうとっくに亡くなってしまった歌手たちの映像を
画面に映し出す。
この、パソコンで父母の懐メロのリクエストに応える
DJのような作業が、意外な親孝行になった。

きっかけは、僕がノートパソコンを開いて
外国のマジシャンの映像を見ていた時だった。
それを父が横から覗き込んで、

「なにを見とるんじゃ。
 なんじゃぁ、外国の手品の人かぁ」

そこでふと思いついて、
父母には懐かしい歌手の名前を検索したのだった。

思いがけず、絶好かつ手軽な親孝行の方法を
発見したというわけだ。

翌日も、そのまた翌日も、両親は夕飯を食べ終えると
パソコン画面の懐メロを楽しむのだった。
少し、あれこれの記憶が曖昧になっていた母が、
忘れてしまっていた懐かしい歌手の名前を
思い出したようだ。
父もそれにつられて、

「ほれ、霧島昇、あれは、東海林太郎、
 う〜ん、高峰美枝子、三浦洸一」

次々と歌手の名前を挙げる。

夜ふとんに入り、豆球の小さな明かりを見ながら、
僕の人生の最大の忘れものは親孝行だったのかもと、
少し反省をした。

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2013-08-04-SUN
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