MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『私に椅子をください』


ミュージカル・スターが東京に集結して
コンサートを開催するという。
近年、すっかりミュージカルの面白さに
取り憑かれてしまった私としては、
絶対に見逃すわけにはいかない。

なんとかチケットを手に入れ、
コンサート会場へと向かった。
あいにくの雨模様にも関わらず、
会場は熱心なファンで埋め尽くされていた。
満員の観客の期待が場内の空気を熱くする中、
4人のミュージカル・スターが登場した。
それだけで観客は前のめりになり、
私はオペラ・グラスで彼らの表情を追った。

歌声が聞こえてきた。
DVDやCDで幾度も聴いてきた彼らの歌声が、
直接耳に届いてくる。
ほんの数日前まで考えもしなかった、
夢のような現実が今まさに繰り広げられているのだ。
始めの2、3曲で、私はすでに万感の想いに
満たされていた。
前後左右の観客たちも同様の想いらしく、
開演前までペチャクチャしゃべっていたのが
ウソのように、ウットリと聴き惚れている。

4人のスターたちは、輝いていた。
彼らの圧倒的な歌声は美しい、
時には猛々しい鳥となって私の耳元で鳴き続ける。
私は恍惚となり、口からよだれさえ
流れ出てきそうになった。

ふと我に返り、あらためて4人のスターを眺めた。
オペラ・グラスで彼らの表情を追いつつ、
私はふとした疑問を頭に浮かべるのであった。

「このステージに4人のミュージカル・スターがいる。
 用意されたたった4脚のスター専用の椅子に、
 彼らは優雅に腰を降ろしている。
 スターの椅子、きっと素晴らしい座り心地に違いない。

 この椅子に座りたいと願う、多くの歌手がいるはずだ。
 何万、何十万という
 ミュージカル・スターを目指す人々がいる。
 だが、今ここに立って
 輝かしいライトを浴びているのは彼らだけ。
 たった4人。
 ミュージカル・スターの椅子は、今はたった4脚。

 そして、私もあの椅子に座れず、
 こうして観客席に座っているのだ。
 なぜ、私はあの4人と共にステージに立てないのか。
 私のための椅子がもうひとつ、
 あってもよかろうものを」

私は、彼らと共にミュージカル・スターの椅子に、
私が座れない理由を考え始めた。

まず考えられるのは、4人は英語をネイティブに話し、
歌っているという点だ。
私は英語を話さなくはないが、かなりブロークンである。
歌うとなると、余計に難しい。
カラオケで英語の曲を歌うこともあるが、
発音は見事にカタカナ・イングリッシュだ。
4つの椅子に座れない理由のひとつは、
私がネイティブのイングリッシュ・スピーカーで
ないことであろう。

続いて、私が男性であることが災いしている。
目の前に輝いているミュージカル・スターの、
4人のうちの2人は女性である。
ミュージカルに男女の恋の物語は不可欠だ。
となれば、出演者も半分が女性であろう。
つまり、ステージに椅子が4脚あっても、
男性分は2脚だけなのだ。

そりゃぁ、私だって女装くらいは可能だろう。
だが、問題は声だ。
声は、急にソプラノなんかにはならない。
私の声はあの2人の女性のような、
伸びやかで艶やかな歌声にはなりそうもない。

それならばと、私は男性ミュージカル・スターの椅子を
狙ってみることにした。
しかし、ミュージカルのスターともなれば
実に踊りが美しい。
彼らはまるで地球上の重力を忘れたかのように、
軽やかに舞い踊るのであった。

反して、私は踊るのが苦手である。
一時は踊りの先生に付きっきりでご指導願ったこともある。
それなのに、先生はほんの1時間ほどで私の無能を見抜き、

「あのさぁ、鏡があるでしょ。
 それ見てさ、まずはステップを覚えなくっちゃね。
 両足がベタって、床にくっついてちゃ、ダメ!」

そう言い残してランチに出かけてしまった。
踊れないことは、ミュージカル・スターにとって
致命的な欠陥なのだ。

しかも、ふたりの男性ミュージカル・スターは
かなりのイケメンではないか。
切ない恋の歌を歌うには、
彼らのような甘いマスクが必然だ。
まったく、人生というものはどこまで不公平なのか。
彼らは圧倒的に歌い、華麗に舞い踊り、甘いマスク、
美しい微笑みで人生の喜怒哀楽を見事に演じている。

アンコールを求める拍手が鳴り響いていた。
4人は何度もステージに再登場し、歓声に応えた。
名残惜しい余韻を残して、ショーは幕を閉じた。

ほうけたように街に出て、ふと空腹であることに
気付いた。
私は、たまに行く蕎麦屋さんに向かった。
あの店のミニ・カツ丼と蕎麦のセットが美味しいのだ。

「ミュージカル・スターたちも、今頃は夜の部に
 備えて楽屋で出前でも食べているかなぁ。
 でも、カツ丼とか蕎麦とかは食べないかもなぁ」

そんなことを思いながら、蕎麦屋さんの扉を開けた。

蕎麦屋さんは満席だった。
いつもなら空いている時間帯なのに、
団体客でも入ったのか、
ひとつの椅子も空いていないのだ。

仕方なく、私は家に帰ることにした。
帰って何か食べるとしよう。
玄関を開け、まずはひと休みとソファーを見た。
すると、友人から預かっている猫が、
いつもの私の場所でスヤスヤと寝ているではないか。

「おい、起きろ。
 そこは私の居場所なんだよ。
 どきなさい」

猫は薄目を開け、フゥ〜と唸って立ち退きを拒否した。

誰か、私に椅子をくださいませんか。

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2013-06-30-SUN
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