MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『叫ぶ人々』

< 長い、長過ぎるぞっ、わきまえろっ >

私はとあるパーティに出席していた。
年に一度、都内のホテルで開催されるパーティだ。
もう何回目の参加だろうか、
円卓に顔なじみになった人々が座っている。
「皆さま、ようこそお越し下さいました。
 ◯◯会を始めさせていただきます」
司会者の声が聞こえてくる。

いつものように、主催の皆さんがご挨拶を始める。
「本日は、ご多忙の中、ご参集いただきまして‥‥。
 えぇ〜、ご存知の通り、我が◯◯会はお陰様で‥‥」

私は芸人である。
長い間の習い性で、話をする場合は
時々面白いことを挟みたい。
なんでもいい、くだらなくても馬鹿馬鹿しくてもいい、
とにかく笑いを挟みたいと考える。
そうでないと、ただ黙って聞いている人が
退屈ではないか。

だが、世間一般はそうではないらしい。
主催の皆さんのお話は、一向に面白くならない。
そうして、お約束のごとく、話が長いのだ。

私はすっかり退屈して、左右の人々の様子を伺う。
左側に座っている社長さんは、固く目をつむっている。
話を聞いているのか、はたまた沈思黙考、
我慢の境地だろうか。

右側の人を見てみる。
彼は、目が合うとニンマリと微笑むのみ。
「はいはい、小石さん、我慢しなくてはいけませんよ。
 お互い、大人なんですから」
とでも言っているかのように。

次に登壇した方も、話が長かった。
最初の人に負けまいとするかのように、延々と続いた。
その次の人も、負けじと長かった。

更に挨拶が続いて、これまた延々と話し始めた。
やっと終わったと思いきや、再び登壇して、
「ひとつ、話を忘れておりまして‥‥」

その瞬間、冒頭の叫びが聞こえてきたのだ。

「長いっ、長過ぎるぞっ、わきまえろっ」

そりゃもう、お見事な叫び。
最後の、
「わきまえろ」
が効いているではないか。

いくら我慢強く、大人の対応をしようとも、
自ずと限度というものがある。
限界を超えたであろうその時、聴衆の一喝、
叫びが響いたのだ。
まるで水戸黄門様の印籠のようなタイミングで、
「皆の我慢が目に入らぬかっ。
 わきまえろっ、控えおろう〜っ」

国会中継を見ていると、ヤジが聞こえてくる。
そりゃもう、うるさいくらいに
あっちこっちからヤジが飛ぶ。
私はふと、あれも一種の叫びだと思った。
黙って、我慢して聞いているのは体に悪い。
議員の皆さんは、ヤジで大いにストレスを
発散しているのではなかろうか。

私は、普通のパーティでも国会のようにヤジ、
叫びが許されることを切に願う。
「本日はご多忙のなか、ようこそ‥‥」
「ご多忙だったら来ないぞっ。暇だから来たんだっ」
「ご存知の通り‥‥」
「ご存知と思うんだったら、省略しろっ」
少なくとも挨拶が退屈にはならないと思うのだが。


< ばかやろ〜っ >

いつものように、ぶらぶらと商店街を歩いていた。
すると突然、

「ばかやろ〜っ」

という怒声、叫び声が聞こえてきた。
叫び声のする方向に目をやると、
年配の女性の姿があった。

観察していると、彼女は道路に落ちているタバコの
吸い殻を拾いつつ、
「ばかやろ〜っ」
と叫んでいるのであった。

その後、彼女の叫びを度々耳にした。
吸い殻を拾っては、
「ばかやろ〜っ」
と叫ぶ。

彼女は、吸い殻を拾う善い人?
それとも大声で人を驚かす悪い人?
私は大いに困惑して、店のおじさんに訊いてみた。
「ねぇ、あの人って、善い人? 悪い人?」
おじさんは少し考えて、
「変な人」


< ハートの、さんっ >

マジシャンは観客に一組のトランプを渡し、
「どれか一枚を選んで、皆さんに見せてください。
 私は後ろを向いて、一切見ません」
観客は言われた通りに一枚を選び、後方の客に見せた。

客席のはるか後方に立っているマジシャンの助手が
小さな声で、
「ハートの3、さん」
その小さな声は電波となって、
マジシャンの耳の中のレシーバーに届く‥‥はずだった。
しかし、送受信機の調子が悪いのか、
助手の声はマジシャンの耳に届かない。

焦った助手の小声はだんだんと大きくなり、

「ハートの3、ハートのさんっ」

ついには後方の観客の耳に届くのだった。

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2013-03-24-SUN
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