MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『師走の旅』

年末になると、漫談界の大御所、
ケーシー高峰さんのギャグを思い出す。
ケーシーさんが重々しい口調で語り始める。

「私は、今年限りで、芸能界を引退します」

客席にどよめきが起きる。
すると、ケーシーさんは急に明るい声になって、

「で、来年からまた新たな気持ちでやるっぺよ、
 へへへへ」

私にとって、このギャグは
もはや師走の風物詩となっている。

師走である。
師が走るくらいだから、誰も彼もバタバタと慌ただしい。
マジシャンも毎日毎日走っているわけではないのだが、
それでも気持ちだけは慌ただしく、
まさに走っているような気分になる日々だ。

今日も今日とて鞄を抱えて近郊の町へと出かけた。
近郊の町であるにもかかわらず、東京から目的地までは
電車を乗り継いで2時間以上かかるという。
ちょっとした旅ではないか。

青森の八戸に行く予定がある。
切符を見ると東京駅12時56分発、
八戸駅着16時04分となっている。
ということは、青森県までは
3時間ちょっとで行けるようになったのだ。

青森県までは3時間ちょっとで行けるのだが、
都内近郊の町へは2時間以上かかる。
なんだか不思議な気分になる。

先輩の芸人さんに話を聞くと、

「昔はホラ、新幹線がなかったでしょ。
 青森とかは、たいていは寝台列車で行くんだよね。
 そうすっとさぁ、一泊二泊は当たり前だよ。
 旅も旅、立派な旅だったのさ」

今はそれが3時間ちょっとで行けるようになった。
旅には違いないけれど、
「ちょっとそこまで」
のような、気軽に出かける日帰り旅行も可能になったのだ。

芸人さんは続けて、

「青森とかに3時間で行けるとなるとね、
 懐かしくて味わいのある方言もなくなるんじゃないの。
 昔は本当に遠かったから、言葉も違ったんだろうしね。
 それが3時間じゃぁ、違う暇もないんじゃぁないの。
 なんだか、寂しいねぇ」

昔、北国から夜行列車で東京へ出てきた人が、

「東京暮らしがどんなに辛くても、
 帰りたい故郷ははるかに遠い。
 だから、我慢できたのかもしれないねぇ。
 今みたいに3時間で帰れるなら、
 我慢しないで帰っちゃうかもね」

そうかもしれないなぁ。

さて、本日は都内近郊の町へ向かうのである。
新宿駅から快速電車に乗った。
車内販売の女性に尋ねてみた。

「◯◯駅へは、この電車でいいですよね?」

「はい、そうです。
 でも、途中の□□駅で乗り換えると、
 同じホームでの乗り換えですから、
 そちらの方が便利だと思います」

へぇ、そうなのかと思いつつ席に着いた。

席に着くと本当にホッとする。
なんせマジシャンというものは、
必ず目的地に着いて芸を披露しなければならない。
着けなければ何の価値もないのだ。
実に申し訳ない言い方になるが、

「ステージに上がれれば、
 仕事は終わったようなもの。
 あとのマジックはオマケのようなもの」

途中で乗り換えれば、目的地までは3、4駅である。
それまでの時間は、のんびり窓の景色でも眺めていよう。

異変はいつも急に発生する。

「ただ今、△△線で踏切事故が発生し、
 上下線ともストップしております。
 この電車も、途中で運転を取りやめることもあります」

た、た、大変である。
大層な言い方になってしまうが、
ステージが私を待っているのだ。
なのに、目的地の遥か手前で立ち往生になってしまうのか。
マジシャンに途中下車は許されないのに。

春風亭柳昇師匠のマクラを思い出す。

「春風亭柳昇といえば我が国ではぁ、あたしひとり」

何度聴いても面白可笑しい。

「パルト小石といえば我が国ではぁ、あたしひとり」

そう、代役など存在しないのだ。
風邪ひいててもお腹をこわしていても、
馬鹿でも無芸でも小心者でも引っ込み思案でも、
とりあえず私がステージに立たなければならない。

再びアナウンスがあり、意外と早く復旧するらしい。
電車は乗換駅に到着し、無事に乗り換えて◯◯駅に着いた。
駅前のホテルに向かい、エレベーターに乗って
7階の控え室に入った。

大きな丸テーブルに、今宵の夕食が準備されていた。
ふと気付けば、私は大変に空腹であった。
間に合うか間に合わないかでハラハラし、
すっかり空腹であることを忘れていたのだ。
空腹で良い芸など望むべくもない。
出番まであと僅かの時間しかないのだが、
私は慌ただしい箸遣いで夕食をいただいた。

無事にステージを勤め上げ、あたふたと帰路についた。
が、帰りの快速電車は未だ運休中であるという。
仕方なく、各駅停車に乗り込んだ。

幸いにも、途中の駅で快速電車に乗り換えることができた。
電車が都心に近づくにつれ、車内はだんだんと混み出した。
各駅停車ののんびりとした空気が、師走の慌ただしさに
一気に飲み込まれてしまった。

師走の街は、誰もが急ぎ足である。
私もついつい人を追い抜こうとしてしまう。
待て待て。
今は帰り道、マジシャンを待つステージは
もう終了したのだ。

歩をゆるめた私の横を、
師走が慌ただしく追い抜いていった。

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2012-12-02-SUN
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