MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『私は小マジシャンです』

自転車は自由な乗り物だ。
老若男女、誰でも簡単な練習で
乗りこなすことができる。

乗り物には付き物の免許もいらない。
それゆえ、本当に小さい子供から
かなりの高齢者まで自由に乗っている。

これらの行為はすべて違法なのだが、
イヤホンで音楽を聴きながら走っている人がいる。
携帯画面を見ながら、
あるいは話しながら走っている人もいる。
メールを打ちながらの人も珍しくはない。
雨の日には、携帯で話しながら傘を差して走っている。
ハンドルに肘を乗せ、
傘の中で前屈みになって
メールを打ちながら走っている人もいて、
まるで曲芸師のようだ。

自転車は、どこからともなくやってくる。
青になった歩道を渡ろうとすると、
突然左側からやってくる。
逆走しているのだ。
最近できた自転車専用レーンを走っていると、
向こうから逆走してくる自転車がいる。
それが数台続くと、ひょっとして
自分が逆走しているのかとさえ思ってしまう。

信号無視は当たり前、時に斜め横断、車道から歩道へ、
歩道から車道へ。
もう誰にも自転車は止められない。

向こうからおじさんが自転車でやってきた。
歩行者がのろくて邪魔と思うのだろう、
かなり粗暴な形相だ。
口元から今にも、
「オラオラ、邪魔だっ! どけっ」
という怒鳴り声が聞こえてきそうだ。

不思議なことに、いつもは穏やかな人でも
自転車に乗ると歩行者などにイラついてしまう。
乱暴者の顔になって歩行者を睨みつけ、
ベルを鳴らして蹴散らしてしまいたくなる。

自転車は人格を変えてしまう要素があるのだろうか。
私は敬愛する先生に訊いてみた。

「先生、なぜなんでしょうねぇ、
 僕も自転車に乗ると信号無視したり
 歩行者を邪魔に思ったりするんですよ。
 車に乗っている時は、
 そんな気持ちにはならないのに」

先生は静かに語り始めた。

「それはね、人より少し、
 少しだけ優位に立ったからです。
 歩行者より、早く走れるからですよ。
 人はね、残念だけれど、少し自分が優位だなと思うと、
 他の人を見下すというか、
 その小さな優位を権力のように思ってしまうのですよ。
 
 普段は謙虚で自らを律している人でも、
 自分の優位を権力と認識してしまうと
 途端に粗暴な言動になってしまう
 ことがあるのです。
 そういうと難しく聞こえるけど、自転車が良い例かもね。
 歩行者より早く走れると、歩行者が愚鈍に思えてしまい、
 愚かしくさえ感じてしまう。
 『私の自転車が通るのだ。歩行者よ、道を開けなさい』
 みたいな気になるのね」

私は常に謙虚な人間でありたいと思っている。
乱暴な言葉で人を罵ることもない。
なのに、自転車で走っていると、

「車いないので、赤ですけど行っちゃいます。
 歩行者がのろのろ、邪魔だなぁ。
 どけって言ってやろうか、へへへ」

などと、お腹の中で毒づいていたりする。
邪悪な感情が忍び寄ってきて、私を支配しようとするのだ。

先生は続けて、

「オートバイとか自動車とかね、
 もっと圧倒的に早いものに乗ると、
 むしろ人は謙虚になるのです。
 つまり、もっと大きな力を持つと、
 今度は慎重になるのです。
 もちろん、オートバイや車は罰則が重いし、
 もし事故になったら結果は重大だし。
 
 だから、人間は少しだけ力を持つと
 少しだけならいいだろうと思う。
 それで、少しだけ威張る。
 役人にもいるけど、そういう役人を
 『小役人』と呼ぶのですよ。

 もっと上、更に上の役人になってしまうと、
 権力も増大するけど責任も重大になる。
 そうなると、むしろ権力は簡単に使えなくなるのね。
 『実るほど、頭を垂れる稲穂かな』
 という戒めは、小さな権力者にこそ必要なのかもね」

小役人かぁ。
すると、さしずめ私は小マジシャンかもしれない。
嫌だなぁ。

そういえば、歌手でも俳優でも落語家でも、
ちょっと上手い、ちょっと売れている人の方が
気難しかったりする。
大物と呼ばれていたり、
名人と賞される落語家さんなんかは、
本当に穏やかで謙虚な人が多いような気がする。

小芸人、小芸能人には
比較的簡単になれてしまうのかもしれないが、
頭を垂れる名人上手への道は遥かに遠く険しい。
それゆえ、ついつい、
「ほどほどのところだけど、
 ほどほどに威張ってもいいだろう」
などと思ってしまうのが、小芸人、小芸能人なのだろう。

私は改めて肝に銘じた。
大物になり、名人と呼ばれてから大いに威張るのだ。
それまでは、楽しく謙虚に生きるとしよう。

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2012-10-28-SUN
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