MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『奇跡の輝かしい未来』


今年の夏も暑い。
髪が伸びて、首筋あたりが暑苦しくてならない。
そろそろ、いつもの美容院に行くとしよう。

担当のBさんにお願いをすることはただひとつ、
私の絶壁を補正してもらうことだ。
私の後頭部は、ほぼ水平である。
眠っていて寝返りを打とうとすると、
後頭部があまりに水平でスムーズに打てない。
四角いサイコロを転がすように、
カックン、カックンと
寝返りを打つしかないのだ。

「同病相哀れむ、お気持ちお察しいたします。
 しっかり、補正しますね」

相変わらず、Bさんは頼もしい。
私の後頭部はゆっくりと、
だが確実にふっくらとしてきた。
プロとはいえ、見事な腕前である。

「Bさん、美容師に必要な資質って、何ですかねぇ」

私の姪は、やっと美容師になって
お客さまの髪をカットできるようになった。
このまま経験さえ積んでいけば、
Bさんのような素敵な美容師になれるのだろうか。

Bさんは穏やかに語り始めた。

「一人前の美容師になれるかどうか、
 美容師としてやっていけるかどうか、
 始めっから見極めることができると思いますね。

 例えばね、女性だとハンドバッグの中とかが
 気になります。
 男性の場合、部屋の雰囲気とか片付け具合とかが
 気になっちゃうんですよ。

 当然だけど、雑然としてるのはダメです。
 そこはやはり、キチンとしてるってっていうか、
 整然としてるっていうか。
 そこんところが、しっかりしてないとダメですね。

 だいたいねぇ、自分の持ち物とか部屋とかが
 ぐちゃぐちゃなのに、髪の毛1本の流れ、長さ、
 スタイルという、
 細かいところにこだわることなんてできないでしょう。

 自分の身の回りを、
 『まぁ、だいたいでいいや』
 というなら、お客さまの髪だって、
 『だいたい、こんな感じでいいすかぁ?』
 で、終わりだと思うんですよ」

私は、今日の自分の身なりを思った。
今日も暑いので、Tシャツに短パンという、
「こんな感じでいいよなぁ」
という様相である。
背負っている鞄の中も、マジックの小ネタなどが
雑然と詰め込まれている。
どうやら、私は良き美容師さんにはなれないようだ。

Bさんは続けて、

「いや、それでもやっていける人はいるでしょう。
 でも、それは髪を切ることができる人であって、
 プロの美容師とは別のものだと思ってます」

なんだか、Bさんの言っていることが
美容師だけのことではないように聞こえてきた。

私はマジシャンである。
もう35年もやっている。
だが、私は単にマジックのできる人であって、
良きマジシャンではなかったような気がする。
背中を冷たい汗が流れる。

「ですから、ウチに来てくれた者には、
 身の回りをキチンとできるよう、
 細かいところに気を配ることができるよう、
 教えているつもりです」

改めるのに遅過ぎるということはないだろう。
今後はなるべく身の回りをキチンとして、
マジックの細部に気配りを忘れないようにしよう。

なぜか、我々のところにも
弟子志願の若者が何人も現れる。
仕事先の楽屋を訪れて、
自分がいかにすごいテクニックをマスターしていて、
ビックリ仰天のマジックができるかを
盛んにアピールする人もいる。
それはそれで、大変に貴重なことかもしれない。
ただ、それらは彼らが
手先の器用な人であるという証明にはなっても、
好いマジシャンになれる保証には
ならないのかもしれない。

Bさんの美容院を出て駅に向かいながら、
以前に訪れた姪の部屋を思い出していた。
小さな部屋の入り口に、なぜか洋服が雑然と積まれている。
なぜ玄関に洋服なのだろう。
ベッドのすぐ横には、炊飯器が置いてある。
炊飯器はやはりキッチンに置くべきではと振り向けば、
キッチンもゴチャゴチャ、満員御礼の状態だった。

私は姪の美容師としての未来に奇跡が起きますよう、
心の中の神様にお願いをした。

駅前の蕎麦屋さんに入った。
この店の蕎麦には、ワサビより京一味が合うらしい。
蕎麦つゆに軽く振ると、一味がパァ〜ッと広がった。

『 蕎麦つゆに 咲く花火かな 京一味 』

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2012-08-19-SUN
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