MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『夏の日の蜃気楼』


『カレーうどん』

このところの猛暑で、どうにも食欲が沸かない。
そこで、私は蕎麦屋さんに行くことにした。
いくら暑くても、まるで食欲がなくても、
冷たい蕎麦ならばズズズィ〜ッと
喉を通り抜けてくれるのだ。

冷やし中華も冷製カッペリーニのパスタも美味しい。
だが、今日の気分は冷たい蕎麦なのだ。

近所の、美味しい蕎麦屋さんに入った。
「テーブル3番さん、天せいろで〜す」
蕎麦が美味しいのに加えて、この店の天ぷらが好きだ。
特に、ネギの天ぷらがいい。
5センチほどに切られたネギの半分まで切れ目を入れ、
ウインナーのタコのような形に広げて揚げてある。
これがなんとも美味しい。
注文した途端に食欲が沸いてくる。

ふと横の席を見ると、母親とまだ小さな男の子がいた。
目の前のどんぶりから、熱々の湯気が立ちのぼっている。
ひょっとして、カレーうどんだろうか。

そうそう、こんな暑い日でも
温かいものを食べたい時がある。
あるいは、子供には冷たい蕎麦の味が
分からないのかもしれない。
それで、子供も好きなカレーうどんにしたのだろう。

それにしても、カレーうどんは熱そうだ。
母親はふぅふぅ、ふぅふぅ、ふぅふぅ、
うどんを冷まそうと吹いている。
子供には無論のこと、大人にも熱過ぎるに違いない。
ふぅふぅ、ふぅふぅ、ふぅふぅ。
このくらいふぅふぅすればもう熱くない、
傍で少し開けて待っている子供の口に入れても
大丈夫な熱さだろう。

と、私が思った瞬間、母親は
ズズッ、ズズッ、ズズズズ〜ッと
一気にカレーうどんをすすり始めた。
口にすすり入れて、母親は満足そうにあごを上げ、ゴクリ。
母親の喉を、カレーうどんが降りてゆくのが見えるようだ。
ふぅふぅ、ふぅふぅ、ふぅふぅ。
ズズッ、ズズッ、ズズズズ〜ッ。
母親はカレーうどんを食べ続けた。

子供はぼんやりと母親が食べるのを見ている。
どうやら、ただ熱いのが苦手の、
猫舌の母親だったみたい。


『東京都庁』

マジシャンの大好きな場所がある。
東急ハンズだ。

近々、またマジックを教える日がやってくる。
生徒さんは段々と増えてきて、
生徒さんの数だけマジックの道具を
用意しなければならない。
ハンズで材料を揃え、自宅でひとつひとつ手作りをする。

海外からやってくるマジシャンにも東急ハンズ、
あるいはロフト、伊東屋などの存在は知られている。
ニューヨークから日本にやってくる
私の友人のマジシャンは、
成田からハンズやロフトに直行するほどだ。

マジックの道具そのものも売っているが、
素材売り場や文房具売り場は、
マジックに使えそうなもので溢れているのだ。
マジシャンの中には、ひとつのフロアーに
1時間を費やす者もいる。
それほど、マジシャンにとって魅力的な場所なのだ。

今回は新宿のハンズに行き、材料をしこたま買い込んだ。
やれやれと駅に向かうと、
甲州街道の歩道を渡ってくる集団が目に入った。
中学生くらいだろうか、引率の先生に促されて
ゾロゾロと歩いてくる。

私とすれ違いざま、引率の先生が宣言した。
「はい、みんな、いいかぁ、ここで写真撮るぞ。
 あの後ろの都庁をバックに、記念写真だ」

私はギクリとした。
東京都庁? ここから東京都庁など見えるはずがない。
アレッと思い、先生の指している指の先を見た。
そこには都庁舎ではなく、
NTTビルが建っているではないか。

間違えるのも無理からず、かもしれない。
東京都庁もNTTビルも高層で、
てっぺんがとんがった形もかなり似通っている。

「はい、みんな2列でいいか。先生が撮るからな。
 うん、ここならちょうど都庁が後ろの真ん中に入るなぁ」

私は迷っていた。
「すいません、あれはですねぇ、都庁ではないです」
そう先生に真実を告げるべきなのだろうか。
もし、そう告げたなら、先生の威厳は
地に堕ちるかもしれない。
告げるべきか、告げざるべきか。

迷ったあげく、私はついに、
「すいません、あれは都庁じゃないです。
 都庁は、こっちの方向にあってですね。
 もうちょっと歩かないと見えないですねぇ」

2列に並んだ生徒たちが一斉に笑い出した。
だが、先生はまるで動揺を見せず、
「はい、聞いたか、あれは都庁じゃないぞ。
 都庁はもうちょっと先だ。
 はい、みんな、こっちだぞ」

小さく会釈をして、先生は私の前を通り過ぎて行った。
生徒たちも、次々と小さく会釈をしつつ過ぎて行った。

良かった。
あの先生はきっと良い先生なのだろう。
生徒たちは疑いもなく、今度は本当の都庁を目指し、
先生に続いて歩いて行った。

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2012-08-05-SUN
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