MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

最近のJポップに、
どれも似たような歌詞が使われている
という新聞記事を読んだ。
よく出てくる歌詞のランキングまで掲載されていて、
実に興味深い記事であった。
『好き』『信じて』『愛して』などを歌詞に入れると、
ヒットする確率が高くなるそうだ。

ならば、我が拙なるこのエッセイにも同様の言葉を使えば
ヒット間違いなしと、いつも通り浅はかに考えて。

『好きで信じて愛してる』

なぜかマジックを『好き』になり、
プロとなってマジックで生計を立てる決心をした。
幸いにも、プロ・マジシャンになるにあたって
何の免許、資格もいらない。
プロになると決めた日に、
「私はプロ・マジシャンです」
と心の中で宣言すればよい。

プロになってすぐに、
マジシャンという職業は私の天職かもしれないと
『信じて』しまった。
それほどまでに、私はマジック、マジシャンという職業を
『愛して』いたのだろう。
好きなマジックの道具に出会うとすぐさま購入し、
『抱きしめて』帰りたいとさえ思う。

好きなマジックの道具は、
買った時の状況までも鮮明に覚えている。
マジック大会の会場で売られていたり、
海外のマジシャンが得意そうに演じていて、
頼み込んで譲ってもらったり。
そんなマジックのどれもが、
すべて観客にウケるかといえば、
そうでもないところがマジックの難しさだと思う。
ウケないから道具の存在を忘れてしまうかというと、
決して『忘れない』から不思議だ。

『一緒に』マジック・ショーを務めるマジシャンたちに、

「そのマジック、いいねぇ。
 ねぇ、どこで買ったの?」

などと尋ねられることがある。
私は得意満面になって、

「ちょっとオーバーな言い方だけれど、
 『奇跡』の出会いといってもいいかな。
 嫌われるかもしれないけれど、
 このマジックは僕だからこそ、
 面白く演じられると思ってるよ。
 つまりは、僕のためだけの、天からの授かり物なのだよ」

こうして私は早々に、
嫌われるマジシャンへの『扉』を全開にしてしまったのだ。

それでも、私はきっと『大丈夫』だと思う。
プロというものは、自身の芸にうぬぼれるくらいでなければ
やっていけないと考えているのだ。
もちろん、時には冷静に自身の芸を
考察しなければならないとは思う。

『目を閉じ』て、好きなマジックを完璧に
生かしきれているのか、
それとも自己満足に過ぎないのかを黙考する。
ただのマジックの道具に、
イリュージョンという『翼』を与えて、
観客の頭上を羽ばたかせているのだろうか。
考慮、熟慮を重ねなければならない時もある。

「あのマジックをもう一度観てみたい。
 あのマジシャンに『会いたい』」
観客にそう思ってもらいたいものだ。
だが、なかなかうまくいかなくて、
いつも『切ない』思いに心は沈む。
それも、プロ・マジシャンというものなのかもしれない。

好きなマジックの道具は、
出会った日から『そばにいて』くれて、
常にマジシャンを励ましてくれる。
自信を失いそうになった時も、
「貴方の好きなように演じればいいのですよ。
 貴方の、マジシャンとしての
 『ありのまま』を出せば、きっと
 観客は喜んでくれますよ」
ただのマジック道具なのに、
最良のパートナーとなって語りかけてくれるのだ。
マジシャンにとって、マジック道具は単に物ではない。
合う、合わないという相性もある。
まさに、生きているパートナーなのだ。

マジシャンは今日も、大好きなパートナーとともに
ステージに向かって『歩き出す』。
その手につかめるかどうか未だ分からない、
不思議という幻想に思い切り『手を伸ばし』ているのだ。
そうして、つかめそうでつかめないもどかしさに挫けて、
『空の向こう』にいる師匠のことを想う。

「師匠、今頃は『どこにいるの』でしょうか?
 今、僕は苦しんでいます。
 あがいています。
 時々、どうしていいか分からなくなるのです。
 僕は、どうすればいいのでしょうか?」

すると、師匠の声が聞こえてくるような気がする。

「ははは、私も大いに苦しんだものさ。
 いや、苦しんでばかりだった。
 それでも、自分は自分、
 それ以上でもそれ以下でもない。
 私は私らしく、君は『君らしく』なのさ」

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2012-04-22-SUN
BACK
戻る