MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『故郷の声』

姉から電話があった。

「浅草でお土産買ったり築地でお寿司食べたり、
 お上りさんを満喫したんで、もう帰るよ。
 本当は、あんたにも故郷報告しようと思ったけどね。
 みんな元気でやってるから、大丈夫だからね」

姉の声はいつものように元気だった。
僕はひと安心すると同時に、
姉が東京にいるうちに会っておけばよかったと
少し後悔をした。

姉から電話があると、
決まって遠い昔の姉の電話を思い出す。

突然、都会に働きに出た姉から家に電話があった。
公衆電話からかけているらしい。

「みんな元気だよね? 
 もっと話して、もっとしゃべってよ。
 お前の声が聴きたい」

姉とはいつもけんかばかりしていた。
姉は気丈で、いつも弟の僕に厳しかった。
そんな姉からの電話ゆえ、
また何か手伝わされるか
用事を言いつけられるのかとばかり思っていた。
だが、姉は電話の向こうで泣いていた。
僕は驚き、狼狽し、ただ姉の泣き声を聴くしかなかった。
受話器を置いても、耳の奥で姉の泣き声は聴こえ続けた。

姉は母とも長女とも話していた。
その時は、ごく普通の会話をしていたと思う。
それが、僕の番になった途端、急に泣き出したのだ。
母たちには心配をかけたくなかったのだろうか。
お腹をこわしたり、しよっちゅう怪我をして
姉に叱られてばかりいた僕の声を聞いて、
急に故郷の家の日々を思い出してしまったのだろうか。

姉はひとり先に都会に出た。
僕はそれがうらやましくさえ思っていた。
いつも元気いっぱいで陽気で、勝ち気な姉だった。
それゆえ、姉自身も喜び勇んで家を出て、
新たな生活を多いに楽しんでいるものとばかり思っていた。

姉は泣いていた。
僕は急に、姉の寂しさと新しい暮らしの厳しさを思った。
僕はまだ家を出ることなど想像もできず、
環境の違う中でひとり暮らさなければならない辛さなど、
考えもしないままだった。
いつの日か都会に出てひとり暮らしをするのが、
漠然と抱く僕の夢でさえあった。

姉は泣いていた。
姉の故郷を想う気持ち、家族を離れた寂しさを、
僕は初めて思い知らされたのだった。

一緒に暮らしていた頃、
姉はいつも僕をなじってばかりいたように思う。

「お前はもうちょっと頭を使った方がいいよ」

食べ過ぎてお腹をこわした僕を叩いた。
竹やぶに入って大きな傷を作ってしまうと、

「そんな危ないとこに行くからだよ。
 怪我してあったり前だよ、バカ」

僕の指の傷口を洗うと、洗面器の水が赤くなった。
それでも顔色ひとつ変えず、
姉は叱りながら傷口を洗い続けた。

姉はいつも僕をなじりながら、
あれこれ面倒を見てくれたのだった。

「お母ちゃんのことやけどねぇ、
 もう元気になったでね。
 心配せんでもいいよ」

昨年、母は骨折をして入院してしまった。
姉はそのことを僕に知らせてはこなかった。
だが、故郷に住む姪がメールで教えてくれた。

「なにぃ、◯◯が教えたんか。
 心配するで教えんでもいいって、言ってたのに」

見舞いに行かなければと思いつつ、
どうにも手が離せない仕事にかまけているうちに
母は順調に回復し、予定より早く退院してくれた。
いつものように姉たちが付き添い、
見守ってくれたのだった。

「お母ちゃんは外に出るようになってねぇ。
 人と話したりして前より元気なくらいやよ。
 それでねぇ、お姉の方が看病疲れで体悪くしてねぇ。
 それも大変やったけど、早めに病院行ったんでねぇ。
 もう治ったからね。
 みんな色々あるけどねぇ。
 でも、心配せんでもいいよ。
 ほんなら、また電話で報告するわね」

あの日以来、故郷という存在がありがたくてならない。

幸いにして、電話で姉の泣き声を聞いたのはたった
一度、遠い昔の公衆電話だけだ。

「やっほ〜、元気ぃ?」

故郷の声は、今は携帯電話から聴こえてくる。
時代は変わり続け、電話の形も変わってしまうけれど、
故郷の声は今日も元気で、懐かしく聴こえた。

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2012-04-08-SUN
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