MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『未完・幻想美術館』


久美子は5日間の夏休みを故郷で過ごし、
再び東京に戻った。
休み明けの気だるい仕事を終え、
懐かしくさえ思えるギャラリーへと向かった。

相変わらず薄暗い路地の先に明かりが漏れる窓を見て、
久美子は嬉しくなった。

だが、ギャラリーの窓を覗くとあの老人の姿はなく、
代わりにひとりの女性がポール・ケアホルムのテーブルに
ほおづえをついていた。

「ひょっとして・・・・」

久美子は一気に不安になった。

と、その時、老人が奥のドアから顔を出し、
すぐさま久美子に気付いてくれた。

老人の手にはグラスがふたつ、
グラスにはロゼワインが注がれていた。

「ちょうどよかった。
 今、貴女のことを話していたところでしたよ」

老人は奥の部屋に戻り、
もうひとつのグラスを持ってきた。

「3人で、再会を祝って乾杯しますかな」

女性は、2年ぶりに日本に帰ってきた
オーナー夫妻のお嬢さんであった。
彼女はオーナー夫妻の実子ではなく、
夫妻がその才能を認めたある画家の娘であるという。

「画家、父ですけれどね、
 ある日母と私を置いて失踪してしまったのよ。
未完のままの絵を残してね」

老人が話を継いで、

「これが、その未完の作品でしてね。
 でも、未完でも良い絵だと思いますよ」

左に画家の自画像が描かれてはいるが、
右側は黒く塗りつぶされている。
何を、あるいは誰を右側に描きたかったのか。
そこに何かを、誰かを描いて後、
塗りつぶしてしまったのか。

左半分に描かれた画家は、
ひとり残されてしまったかのように、
寂しげな表情を浮かべている。

「そうね、
 画家、人間を憎んでも作品は憎まず、かしらね。
 でもね、今は憎んでなどいないのよ。
 情熱のままに生きたとも言える人がたまたま父だった、
 というだけでね」

老人が料理を運んできた。

「お嬢さんが2年ぶりに帰ってらしたから、
 料理は和食にしようと考えましたが、
 私の作る和食はお嬢さんにあまり好評でなくてね。
 やはり、いつもの創作料理にしてみましたよ」

淡いブルーのお皿に生シラスのカルパッチョ、
白いお皿にはオムレツだろうか。

「実は、納豆オムレツでしてね。
 でも、納豆とワインは相性が良くない。
 そこで、醤油の代わりに塩とオリーブオイルで
 味付けしました。
 粒マスタードを少し付けてどうぞ」

続いて、テーブルに椀が運ばれてきた。

「ほんの少しですが、外国から帰ってくると
 なぜか無性に食べたくなる卵かけご飯ですよ。
 カリカリのベーコンを少し、
 小さく切ってふりかけてあります」

「貴男の料理も相変わらず未完だけれど、
 なぜだかどれも美味しいのが不思議ね。
 意外と、未完だからこその美味しさもあったりして。
 完成してしまったら、
 貴男の料理じゃなくなっちゃうのかも」

「まぁ、人生もついでに未完状態ですからね、
 ふふふ」

「やだ、あたしも未完だらけだわ、
 ふふふ」

「いくつになっても未完のままだけれど、
 未完のままも良し、
 完成までの愉しみもあり、ですかな」

「人生に完成などないのかもしれないし、
 完成しなくてもいいのかもしれない。
 私の目の前のふたりは、
 きっと互いの未完の部分を補い合って生きてきたのだわ」
二人の話を聴きながら、久美子は思った。

お嬢さんがグラスを高く掲げた。
「未完に乾杯!」

オーナー夫妻はお嬢さんを養子に迎え、
大切に育ててくれたのだ。
お嬢さんは成人して、時に夫妻に反抗することもあった。
実の父、未完のままの父の絵、
様々なことが我慢ならなかった時期もあった。
そんなお嬢さん、娘の気持ちを、
夫妻は深く理解していたのだ。
どんなに娘と意見対立しても、
夫妻が心乱すことはなかったという。

お嬢さんの父、この未完の作品を残した画家は、
インドネシアのどこかの島で暮らしているという。
絵を描くことはなく、小さな画廊、というよりは
土産物屋といった方がいいような店を営んでいるらしい。

お嬢さんは、父、家族、残された絵、
自分自身が未完のままであるのに対して、
オーナー夫妻はいつも完成されていたように
思えてならないという。

「そんな、完成されていた両親が
 あっさりとこの世を去って、
 未完成な私たちがいつまでも生きているのよねぇ」

老人が、冷たい白ワインをグラスに注いだ。
グラスは、霜が降りたように白くなった。

「さぁ、今夜の残された時間を、
 たっぷりの白ワインで満たすとしますかな」

久美子の白くなったグラスの向こうに、
ふたりの男女と未完の絵画が見えている。
現実と幻想の境界は、もうすっかり見えなくなった。

              (未完のまま・・・おわり)

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2011-08-21-SUN
BACK
戻る