MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『左利き宣言』


何がきっかけだったか思い出せないでいるが、
僕はここ数ヶ月、左手でご飯を食べている。
箸を左手に持ちご飯を食べ、時には蕎麦も手繰っている。

僕は、もともと左利きである。
それを、小さい頃に
箸と字を書く時は右手を使うように矯正されたのだ。

どのような事情で矯正されたのか、
僕自身に大きな抵抗があったのか、
定かには覚えていない。
とにかく、物心ついた頃には右手でご飯を食べ、
右手で鉛筆を握って書いていたのだ。

近年では、左利きを右利きに矯正することはないようだ。
利き手を矯正すると、様々な弊害があるらしい。
矯正された結果、肉体的、精神的に
不具合を抱えた人も多いようだ。

広辞苑によれば、
『矯正=欠点をなおし、正しくすること』
とある。
しかし、左利きの僕には左利きは欠点では断じてない。

確かに、子供の頃に卓球で遊んでいると、
「なんか、小石くんのは打ちにくい」
と言われたことはある。
僕が左手で打つピンポン球は、
右利きの友達が打ち返し辛い方向にばかり
飛んで行くのだった。
なんというか、逆ハンドにして
打たなければならなくなる。
僕はそれを避けるために、
ちゃんと右手のラケットを目がけて
サーブするように練習したものだ。
それは左利きを欠点だと考えた訳ではなくて、
子供なりの友達への気配りだったのだ。
左手にラケットを持つ僕も、
同様に右利きの人のボールは打ち返しにくい。
だが、ほとんどの相手が右利きゆえに、
逆ハンドに慣れるのが早かった。

矯正されたのは箸と鉛筆の持ち手くらいで、
野球やピンポン、バレーボールなどのスポーツは
左利きのままだった。

とはいえ、矯正されているという漠然とした思いは
常に頭の中にあり続けた。
小さい頃から今に至るまで、自分自身のどこかに
矯正の影響を感じていたのだった。

それが急に、辛くなってきた。
それがなんだか、無性に苦しく思えてならなくなった。
これまで、矯正されたせいで何か問題が生じた訳ではない。
ただ、どこかに不自由を感じていたのだった。

最近、テレビ番組等で左利きの人を
多く見かけるようになった。
CMや料理番組でも、ごく普通に左利きの人が
左手でご飯を食べ、左手で文字を書いている。
そんなシーンを数多く目にしたせいかもしれない。
僕は本来、左利きなのだと強く意識するようになった。

左手でご飯を食べるのは何十年ぶりで、
始めはやはり違和感があった。
箸で茶碗に残ったお米の一粒を摘み、
口に入れるのに手間取った。
蕎麦を箸で摘み、汁につけて口に運ぶのに、
変なところに力が入った。

だが、それらの苦労は本当に楽しい。
大げさに言えば、人生をもう一度始めから
やり直しているようなものなのだ。
初めて箸を手にして、四苦八苦しながらも
ご飯を口に運び、麺を箸ですくっては
ちゅるちゅるとすする。
もう何年何十年と続けてきたはずの行為を、
まったく新しい気分で味わうのだ。

子供の頃、お爺さんお婆さん、親父とお袋に教わって、
僕はポロポロとご飯をこぼし、麺を落としながら、
それでも懸命に箸を手繰ったのだろう。
そんなおぼろげな記憶さえも、
左手のあちこちに蘇ってくるような気がする。

自動販売機のコインを入れるところ、
電車の切符販売機のコインを入れるところ、
必ず右側にある。
自動改札の切符を入れるところ、
カードをタッチするところ、右側だ。
ドアの取っ手、カメラのシャッターボタン、
電卓の配列、あらゆるものが右利きの人に便利なように
デザインされているように思う。

「ハサミとか包丁とか、左利き用のがあるよ。
 それを使えばいいと思うよ」
そう言ってもらうこともある。
でも、左利き用の用具に慣れてしまうと、
普通のものが使えなくなってしまうのだ。
ゆえに、日々普通の用具も
左手でなんとか使えるように努力しているのだ。

僕の故郷は岐阜県にある小さな山里だ。
年老いた父母の顔を見に、この夏も故郷に帰るつもりだ。

僕が左手でご飯を食べ始めたら、
おそらく父母はこう言うだろう。

「せっかく苦労して右に直したのになぁ。
 でも、いいよ。
 お前の好きなように、したらええよ。
 無理やけど、右利きに生んでやれば良かったのになぁ」

いやいや、お父ちゃんお母ちゃん、
僕は左利きに生まれて苦労した訳ではないよ。
むしろ、左利きだからこその楽しさもいっぱいあるんだよ。
お父ちゃんお母ちゃんに言いたいよ。

「左利きに生んでくれてありがとう」

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2011-07-10-SUN
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