MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『僕の旅、再び東北へ』


人生はよく旅に例えられる。
となれば、芸人の人生は旅そのものだ。

僕は再び東北へと旅に出た。
今回の旅は、ある企業が毎年主催している寄席公演である。
昨年まではごく普通の初夏のイベントであり、
僕も毎年のように参加していた。
今年は東日本大震災があり、企業内では
イベントを自粛すべしという意見が大勢を占めたのだが、
会長さんがチャリティー公演として
今年の実施を決定されたと聞く。

6月某日、僕は東京駅に向かい、
朝8時発のやまびこ17号に乗った。
今回の寄席公演のトリを務める、E楽師匠も一緒である。

車窓に見る景色は初夏の陽射しに輝いている。
新幹線は順調に走り、車窓に見る景色は
田園に変わっている。
山間に点在する民家の屋根に、
ブルーシートが掛けられている。
この辺りも大きな揺れに見舞われて、
瓦が崩落したのだろう。

1時間半ほどで、最初の目的地である郡山に着いた。
駅から歩いてすぐのホテルが、
最初の寄席公演の会場なのだ。
ロビーには、すでに多くの人々が列を作っている。
この寄席公演を待ちわびるように、笑顔で並んでいる。
観客の表情を眺めながら、会長の決断は正しかったと思う。

以前、友人たちと東北に行った時にも思ったものだ。
命を奪われた生き物たちの嘆き、
生き残った人々の例えようのない悲しみを前にして、
はたしてマジックなどしている場合だろうかとためらった。
「こんな時に頭回してる場合かぁっ!」
などと叱られるのでは、と思ったりもした。
だが、嘆き悲しむ人々に見てもらうのは、
その対極にある笑いしかないと思った。
それに、僕にはそれしかできないのだ。

司会のA楽さんが登場し、
笑いを交えて注意事項等を説明している。
始めに会長のご挨拶があり、
続いて登場するのがKC先生だ。

KC先生は福島のいわき在住で、
被災者代表と紹介されて
登壇、いきなり、

「皆さんにも、福島の放射能を平等にお分けします」

そう言いながら、着ている白衣をパタパタと扇ぐ。
相変わらずのブラックジョーク、
はちゃめちゃ医療漫談に観客は涙を流して大爆笑。
所々に、自らの被災体験を織り交ぜる。

「かぁちゃん、無事でよかったなぁ。
 オレは、枕元にリュック置いて寝てんだよ。
 地震あっても津波来ても、
 オレだけ生きられるように。
 でも、オレのかかぁもしぶといよぉ。
 『あんた、残念だったねぇ。アタシも生きてるよ』って。
 ガッカリだっぺよぉ」

女流三味線漫談のK円歌さん、
歌と物真似のSすすむ先生と続き、
出演者全員で復旧復興を願う歌を合唱する。
リードするのはS先生なのだが、
ギターコードに神経が行って歌詞が覚えられない。
後ろで歌詞を読んであげて、なんとかメインボーカルを
声高らかに務めていただいた。
S先生いわく、

「公演が終わる頃になって、
 完全に覚えたりするんだよなぁ」

我々の出番は中入り後にやってきた。
20分間、インチキマジックでご機嫌を伺う。
親子漫才のU世亭三吾・Mユルさんが続いて、
トリのE楽師匠の登場、今回は新作で大いに笑わせる。

郡山の公演を終えて、つばさ29号で山形に移動。
車内誌をめくると、ほんの少し前には普通に見られた
東北の紅葉、黄金色に輝く稲穂、
雪に埋もれる家々の明かり、
温泉地のにぎわい等の写真があった。
失ったものがあまりに多いことに気づき、切なくなる。

「オレさぁ、シャケを普通の人が一生に食べる分を、
 もう食べちゃったかも」

「えびフライも一生分、食べてるよね」

などと話しつつ、車内で弁当を食べる。

山形駅に着き、タクシーで5分ほどのホテルに向かう。
午後4時に夜の部が開演、
満席のお客さまに笑ってもらって再び山形駅へ。

山形から仙山線に乗って仙台へと移動。
グリーン席も指定席もなく、皆で適当な席に座る。
ビールやおつまみが配られ、
ごく普通の電車が宴会列車となる。

他の乗客のご迷惑のお詫びにと、
KC先生が聴診器を取り出し、

「どれどれ、診察してあげよう。
 診察がイヤだったらマジックもあるよ」

更に迷惑だったかもしれないと思う。

仙台で一泊し、翌日昼夜公演をこなした。
仙台からやまびこ243号に乗って盛岡へ。
盛岡駅からタクシーで15分ほどのホテルで、
昼の部公演。
終了して盛岡駅に戻り、こまち125号で秋田へ。
秋田駅近くのホテルで夜の部の公演。
その日のうちに、秋田駅からつがる7号で青森に移動。

一日のうちにあちこち移動するので、すぐに、
「あれれ、ここはどこだっけ?」
となる。
以前のこと、
「いやぁ、青森はいいところですねぇ。
 八戸も二戸も行きましたが、
 ホント、いいところですねぇ」
などと、秋田の会場でしゃべっていたことがある。
ところが、観客は怒るどころか大爆笑するのだった。
たぶん、僕が知っていて
わざと間違えていると思ってくれたのだろうか。
いまだに謎のままである。

青森で一泊し、ホテルの会場で昼の部公演。
タクシーで新青森駅に向かい、
はやて130号で八戸へ移動。
八戸で夜の部公演をこなして八戸駅に戻り、
最終のはやて140号で東京へと戻った。
東京駅に着いたのは、午後11時8分であった。

旅の終わりに残るのは、数々の思い出だけのはずだった。
しかし、今度の旅で見てきたものも、
一向に思い出として記憶のなかに収まってくれない。
僕の頭のなかで、誰かが小さくつぶやいている。

「もう一度、みんなと東北に行こうよ」

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2011-06-19-SUN
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