MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『私たちの四半世紀』


今日は、三遊亭好太郎師匠の25周年記念公演が
国立劇場演芸場で開催される日だ。

三遊亭好太郎師匠も、
もう芸暦四半世紀を迎えるのか。
ひょっとすると、
私はその1、2年目の頃からのお付き合いかもしれない。

初めての出会いは、ごく普通に都内の落語会だった。
好太郎師匠は、まだ前座だったろうか。
親しくなったのは、
東北の各地を廻る落語会ツアーからだ。
夕方の公演を終えると、私たちはどちらからともなく
誘い合って夜の街に繰り出した。
初めて訪れる街の、初めての店ばかり。
お互いに、財布の中身が潤沢ではない。
となると、安くて楽しそうな店を探さなくてはならない。

まず私がひとりで店に入り、様子をうかがう。
雰囲気が悪そうならば、

「あれれ、あの、
 好太郎っていうのが来てませんか?
 おかしいなぁ、すいません」

などと言って出てきてしまう。
良ければ、すぐに外の好太郎さんを呼ぶのだ。
翌日は、好太郎さんが先に入って、

「あれぇ、小石さんは来てませんかぁ」

そんなたわいなくも真剣な努力をしながら、
一緒に東北のあちこちで呑んだものだ。
私たちは、ずいぶんと親しくなった。

いつしか時は過ぎて、
好太郎さんは精進を重ねて真打ちとなった。
ある日、真打ちの好太郎師匠にお願いをして、
私の知人のお寺で落語会をしてもらった。

公演後、住職が、

「いやぁ、素晴らしい落語でしたねぇ。
 こりゃぁ、
 好太郎さんはすぐに真打ちになれますなぁ」

などと言うので、私は慌てて、

「いやいや、
 好太郎師匠はもう真打ちになられてます」

そう訂正すると、住職は少しも慌てず、

「そうでしたか、これはこれは。
 これが本当の、知らぬが仏」

地下鉄で半蔵門に向かいながら、
私はこれまでの様々なことを思い返していた。
好太郎さんは1年1年、
こつこつと芸を積み重ねてきた人だ。
それはちょうど、精進という座布団を
1枚1枚積み重ねるように。
それに対して、私はどうやら座布団を
横に並べるタイプらしく、
芸は広がるのだが一向に高くならない。
だが、これも芸風というやつで、
いきなり方針を転換できるはずもないのだ。

半蔵門駅に着いた頃には、すっかり空腹であった。
腹がへっては良い芸など望めぬと、
私は駅前の蕎麦屋さんに向かった。

ところが、

「ナポさ〜ん、今から演芸場ですよね。
 私、場所が分からないし開演時間はすぐだし、
 焦ってたんですよぉ。
 一緒に行ってもいいですかぁ」

いきなり、顔見知りの女性に声を掛けられてしまった。

「もうね、私は方向音痴で
 一人じゃ絶対にたどり着けないと思ってたの。
 小石さんに会えてラッキーだわ」

私は蕎麦をあきらめ、女性を演芸場まで送り届けた。

楽屋に、何か差し入れがあるに違いない。
それで空腹を紛らわせようと思いきや、
今日に限って差し入れはお酒ばかりらしい。

仕方なく演芸場の売店でサンドイッチを
買おうとすれば、

「あらら、ごめんなさい。
 軽食類はもう売り切れ」

結局、空腹なまま出番がやってきた。
もう、声にもチカラがこもっていない。
ところが、それが功を奏したのか、
観客の反応はすこぶる良好であった。
これだから、芸というものは分からない。

終了して、近くの居酒屋で打ち上げがあった。
居酒屋は日曜日シフトらしく、厨房にひとり、
接客係がひとりしかいなかった。
そこに、30人以上の好太郎師匠ご一行が
押し寄せてきたのだから大変だ。
生ビールだけは出てきたものの、
食べ物は一向に出てこなかった。

なぜか食べ物に縁がなく、空腹の1日であったが、
好太郎師匠の円熟の話芸がお腹に沁み渡る夜であった。

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2010-10-17-SUN
BACK
戻る