MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『人はどうしてプロ・マジシャンになったのか』


いつものBARで飲んでいると、顔見知りの男性が
話しかけてきた。

「実は、僕はマジシャンになりたかったんですよ。
 いつもテレビでナポさんを見てて羨ましいなぁと
 思ってたんですよ」

彼はマジシャンになることは諦めて、
デザインの仕事に就いているという。

彼が写真で見せてくれたデザイン作品はどれも美しく、
私は、

「いやぁ、マジシャンにならなくて良かったですよ。
 こんな美しい作品をデザインできるんですから。
 実は、私はデザイナーになりたかったんですよ、
 ははは」

しかし、彼は真顔で、

「いやぁ、本当にマジシャンになりたかったなぁ」

そう、つぶやいた。

私は、この瞬間に
多くのプロ・マジシャンのことを思い浮かべた。
はて、あの人たちはいかにして
プロ・マジシャンとなったのか。

●マジシャンA
テレビ等で見ていたプロ・マジシャンに弟子入り。
始めはマジック道具を運んだり、
アシスタントとして師匠のマジックを手伝う。
時にはネタ箱の中に入って剣で刺されたりした。
師匠の機嫌が悪く、本当に刺されて
怪我をしたこともある。
師匠からマジックの演じ方を少しずつ教わり、
師匠のショーの前座として短い時間を与えられて
経験を積む。
おおよそ3年間の修行を経て、
一門のプロ・マジシャンとなった。

●マジシャンB
小学生の頃からマジックが好きであった。
たくさん練習したお陰で、プロ並みの技術を会得。
プロ・マジシャンに弟子入りも考えたが、
すでに多くのマジック、技術を会得していたため、
弟子修業の必要性を感じなかった。
そこで、デパートの手品売り場で
マジック道具を販売するディーラーとなった。
毎日マジック用品を販売しながら、
全国各地で開催されるマジック・コンテスト等に出演し、
プロ・マジシャンとして認められる機会を
うかがっていた。
有名タレントたちにマジックを見せる機会を得て、
その不思議なマジックの評判がテレビ業界にも伝わり、
テレビに多く出演して有名プロ・マジシャンの
一員となった。

●マジシャンC
高校生の頃から、独特のアイデア、技法を開発。
アマチュアの世界では有名であった。
アルバイトではあったが、あるプロ・マジシャンの
アシスタントとなった。
しかし、先生であるはずのプロ・マジシャンが
コメディ・マジックを得意としていたため、
少しも学べるところを見いだせず、
単身アメリカに渡って欧米のマジックを学んだ。
帰国後、日本には定着していなかった
レストラン等で客にマジックを見せるマジシャンとなる。
目の前で見せる奇跡のような現象が評判となり、
テレビに出演するや高視聴率を連発。
スタイリッシュな風貌も相まって
一躍人気マジシャンの仲間入りを果たす。

●マジシャンD
外国で生まれ育ったハーフで、美しいルックスと
ネイティブな英語力を併せ持つ。
幼い頃からマジックに興味を持ち、
海外のマジック・コンテストに出演し、多くの賞をさらう。
日本に住むことになり、プロ・マジシャンとして
ある事務所に所属。
ルックスと技術の高さですぐにも人気マジシャンとなると
期待されたが、なぜかテレビ等に出演しても
精彩を欠く年月が続いた。
だが、その年月が彼にルックスと技術だけではない
怪しさを与えてくれたらしい。
一年に何度かの彼だけのスペシャル番組が
放送されるという、大物マジシャンとなった。

●マジシャンE
大学在学中にマジック同好会の一員となる。
先輩たちにマジックを教わるのであるが、
なぜか人前で見せると失敗の連続。
仕方なく、先輩たちが出演するマジック・ショーの
司会専門となる。
同好会の仲間の中に、すでに将来はプロになると
決めている同級生がいた。
卒業後、彼に、
「プロ・マジシャンになったら儲かるよ」
などとダマされて、せっかく就職した会社を辞めて
同級生のアシスタントとなる。
だが、アシスタント役までも失敗が続き、
学生時代のように喋ってマジックを盛り上げる役となる。
何が面白いのか誰にも分からないままに25年以上も
プロ・マジシャンとして生きて、
『大した芸もないのに四半世紀』
というキャッチ・コピーを贈られる。


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2009-10-25-SUN
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