MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『こわい人』


「D師匠は、相当にこわい方ですか?」

そう問われて、若いお弟子さんが答えた。

「はい、まるでサファリパークの真ん中に
 裸で立っているようにこわいです」

何にでも襲いかかる猛獣のように例えられた
D師匠には申し訳ないが、
実に的確な表現だと思ってしまう。

私は幸運にも、ずっと以前から何度も
D師匠の落語会に出演させていただいていて、
楽屋のお姿も拝見しているのだ。

まず、D師匠がすでに楽屋入りしているかどうかが
その場の空気で分かる。
D師匠がまだいない時は、
楽屋周辺の空気が穏やかに流れている。

落語家さんたちゆえ、
近況を実に面白おかしく話し合っていて
笑いが絶えない。

そこに、D師匠が楽屋入りする。

D師匠の姿はまだまるで見えないのに、なぜか、

「来たぁ!」

という空気が伝わってくる。

周辺の空気は一変する。
もう誰ひとりとして私語など話す人はいない。

「おはようございます」

誰もが挨拶をするのだが、その声がおびえたように
小声になる。

D師匠は、いつものように不機嫌そうだ。
楽屋に入り、椅子に座ってタバコをくわえる。
後ろのお弟子さんがすかさずライターで火をつける。

「おい、リンゴ」

リンゴが差し出される。
なぜか、D師匠自らナイフでリンゴの皮をむき始める。
周りの皆は、ただD師匠の一挙手一投足を
見つめるばかりだ。

D師匠は急に襲いかかったり、手にしているナイフを
振りかざす訳では決してない。
なのに、誰もが、

「何かあったら、すぐに逃げなければ危ない。
 だから、
 D師匠の動向から目が離せない」

などと心の中で考えているかのように、とにかく
D師匠を注視し続けるのだ。

D師匠についての、定番の噂がある。

『D師匠が、
 ちゃんと会場に来るかどうか分からない』

『来たとしても、
 高座に上がるかどうか分からない』

『高座に上がっても、
 落語をやるかどうかは分からない』

高座にお弟子さんが上がっている。

「今、師匠のDはちゃんと来てまして、
 袖にいるようです。
 でも皆さん、安心してください。
 皆さんは逃げられますから。
 まず最初に襲われるのはあたくしでございます」

あるテレビドラマのマジック指導を依頼された。
演出は、かのKさんであった。

Kさんのアシスタントから電話があり、

「Kがマジック指導をお願いしたいと言ってまして‥‥」

私があれこれ質問していると、
電話が突然Kさんの声になって、

「つべこべ言ってないで、すぐ来いよっ!」

スタジオに入ると、
大道具さんたちが和やかに雑談をしている。
その声が急に小声になった。
Kさんがスタジオにやってきたのだ。
Kさんがスタジオのセットを見て、ひとこと、

「違うなぁ」

そう言い残して去って行った。
大道具さんが気落ちしたように、

「おい、違うってよ」

別の誰かが怒った声で、

「昨日見た時は、良いって言ってたじゃねぇか」

しかし、話はそこで途切れ、誰もが黙々と働き始めた。

Kさんの舞台演出を手伝うことになった。
演舞場の前の喫茶店で待ち合わせ、
一緒に演舞場の入り口に向かった。

誰もが畏敬の念を持つ
カリスマ演出家のKさんではあるが、
一般にそれほど知られてはいないかもしれない。

はたして演舞場入り口の受付はKさんを知っていて、
すぐに入れてくれるのだろうか。

「もしもし、どちら様ですか?」

などと、ヘタにKさんを止めようものなら、
いったいどんな修羅場を見ることになるだろうか。

私はそんな危惧を抱きながらKさんに続いた。
受付の女性が一瞬、Kさんに声をかけようとした。
だが、Kさんの醸し出す『こわさ』に、
思わず言葉を飲み込んだ。

Kさんは常に無敵であった。

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2009-10-18-SUN
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