MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『シアワセを聴く』

小学生の頃から、我が家には犬も猫もいた。
犬は、ふたつ年上の姉がどこからかもらってきたもので、
耳の長い雑種だった。
始めは熱心に面倒をみていた姉であったが、
いつの間にやら散歩などの世話は
母か僕の担当になってしまった。

猫は、僕が学校からの帰り道に拾ってきた。
草むらで小さく鳴いていた子猫を、
どうしてもそのままに置いていけず
持ってきてしまったのだ。

猫は順調に育って、
いつも僕の布団の中で眠るようになった。
寒い冬の夜、猫はどこからか帰ってきて
僕の耳元で小さく鳴くのだった。
半分眠ったままの僕なのだが、
ちゃんと左手で布団の端を持ち上げてやる。
すると、猫は布団の中に入ってくる。
猫の身体の冷たさが伝わってくるけれど、
すぐに柔らかく温かくなる。
猫は、布団の中の僕の腰あたりでのどを鳴らし始める。
そのゴロゴロという響きを聴きながら、
僕も深い眠りに落ちるのだった。

夕食時になると、猫は父のあぐらの上に乗っている。
父の晩酌のつまみを分けてもらうためだ。
食べて満腹になると、
こたつの布団の端に移動して丸くなる。
のどをなでてやると嬉しそうに目を細めて、
ゴロゴロと鳴らすのだった。

なぜ、猫だけがのどを鳴らすのかが不思議だった。
散歩に出る時の犬は、大いにしっぽを振って嬉しそうだが、
のどを鳴らすことはない。
猫以外の動物がゴロゴロとのどを鳴らすのを、
僕はまだ聴いたことがない。

猫がのどを鳴らすメカニズムは分からなくとも、
ゴロゴロとのどを鳴らしている時は、
猫が幸せな状態であることは間違いないのだった。


つい最近、僕は急に猫のゴロゴロが気になりだした。
子供の頃に聴いた、あの猫のゴロゴロを
しきりに思い出すようになったのだ。

猫がのどを鳴らす時は、猫が本当に幸せな時だ。
となると、あのゴロゴロという音は、
まさに幸せそのものではないか。
つまり、我々が具体的に感じることができる幸せであり、
唯一耳で聴くことができる幸せではなかろうか。

幸せ、幸福というものは、いつも漠然としている。
幸せそうな人を見ることはできても、
それは目に見えてこないし聴こえてもこない。
ただ漠然と感じられるものでしかない。

それなのに、猫の幸せはゴロゴロという音となって
僕たちの耳に聴こえてくるのだ。
数多い動物の中で、ただ猫だけが
幸福を人間に聴かせてくれる生き物なのだ。

そんなことを考えているうちに、
僕の頭の中にひとつのアイデアが浮かんできた。
それは『耳で聴くシアワセ ネコのゴロゴロ』というCDを
制作したらいいのでは、という企画である。
今まで存在しなかった、
シアワセを聴くことのできるCDになるのではないか。
DVD化すれば、猫たちの可愛い寝顔を見ながら
幸せそのものを聴くことができる、ばんざ〜い!

僕はすぐさま、知り合いの放送作家に計画を熱く語った。
彼ならば、どこかの制作会社に
企画を持ち込んでくれるに違いない。

「良いですねぇ、あの猫のゴロゴロ。
 本当に癒されますよね」

良かった、彼もやはり猫のゴロゴロが、
聴くことのできる幸せ、幸福なのだということを
理解してくれたのだ。

しかし、彼はだんだんと表情を曇らせて、

「小石さん、実はね、僕はつい先日、
 10年飼っていた猫に死なれたばかりなんですよ。
 それだけじゃなくってね、
 新しく譲ってもらった猫までも
 病気で亡くしちゃったんです」

僕たちは、しんみりと猫のいた日々を語り合った。

「なんか、まだ耳の中に残ってますよね、
 あのゴロゴロっていう音が」

DVDの企画は、彼のペット・ロス症候群が
癒えてからになるだろう。

しかし、僕はこのDVD企画をあきらめきれず、
広告大手のD社の知人にこの企画をメールしてみた。
数日後、知人から返信が届いた。

「企画について拝見させていただきましたが、
 そもそも私は猫が大っきらいでして。
 しかも猫アレルギーでして。
 私も幸福は聴きたいと思いますが、
 その手段がたまたま私の大大大嫌いな猫だったので、
 ゴロゴロも、ピンとこなくて・・・」

こうして、僕の素晴らしいDVD計画は頓挫した。

親愛なるほぼ日読者の皆様の中で、
最近猫を亡くしていなくて猫が大大大嫌いでない方で、
この『耳で聴くシアワセ ネコのゴロゴロ』制作に
協力していただける方々のメールを、
心よりお待ちしております。

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2008-11-02-SUN
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