MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『続 I LOVE LONDON 』


とうとう、
初めてのロンドンの夜がやってきた。
宿泊先は地下鉄のマーブルゲート駅
(大きな、白い大理石でできた門があった)
近くのホテル。
一泊4万円ほどだという。
物価が高いロンドンでは、
4万円でも中くらいだという。
与えられた3階の部屋に入ると、
右手に8畳くらい(英国では
8畳とはいわないだろうが)のスペース、
大きめのベッドが真ん中にデンとある。
左手にバスタブとトイレと洗面台があった。
これで一泊4万円以上もするのかぁ。
しかし、長い旅の後には
シャワーとベッドさえあれば
シアワセというものだ。
窓のカーテンを開けると中庭が見えた。
中庭といっても、本当に庭があるわけではなく、
殺風景な2階の屋根が見えるのみだ。

ロンドン初日の夜は、
現地のコーディネーターである
Rさんの案内で中華レストランに出掛けた。
今回のロケの主役である前田知洋くんと
僕とSディレクターの4人で、
これからのロケについての打ち合わせも兼ねての
夕食になった。
コーディネーターのRさんは、
ロンドン在住の日本女性である。
英語が堪能なのは当然だが、
その英語がなんとも優雅なのだ。
彼女の優雅なイングリッシュが後々の様々な困難、
「撮影許可は得ているのかっ」
「すぐ立ち去れっ」
「そんなことは無理だ、嫌だ」
「ここまでで充分だろ?」
などという、よくある障害に、
「もっちろ〜ん、分かっているわぁ。
 貴方のおっしゃることはね、
 よぉ〜く分かるんだけれど、
 少し理解してほしいのは‥‥」
などとあくまで優雅に対応し始めると、
固く閉ざされたはずの門が
ゆっくりと開き始めるのだった。
こう書くと、女性が甘い声を出して
くねくねしているように
思われてしまうだろうけれど、
Rさんは女性にしては低く、
あくまで冷静に聞こえる声の持ち主なのだ。
そんなRさんにかかると、
相手の英語もなんだかトーン・ダウンし始め、
お終いには、
「じゃぁ、今回は、どうぞ」
てなことになってしまうのだった。
料理が運ばれてきた。
「ロンドンの料理はさぁ、不味くて高いよ」
かつて、そんな評判を聞いたことがある。
最近になって、味の面では
かなり改善されてきたらしい。
ただ、値段については
更に高騰しているようで、
一人分6千円以上であった。
もったいないので、
残った料理はホテルに持ち帰り、
夜中に目が覚めた時に食べた。

翌朝は9時、ホテルのロビー集合であった。
なんだかゆったりした
スケジュールのように思える。
ずいぶん以前のこと、
米国ロサンゼルス2泊4日の
ロケというのがあった。
初日は全日ロケ、ホテルの部屋に帰ると
深夜だった。
翌日の出発は早朝5時。
あわてて風呂に入ったが、
疲れでバスタブで爆睡してしまった。
目が覚めると出発時間までもうすぐ、
ベッドに入らないまま翌日のロケに出発した。
この日も同じようなスケジュールで、
結局ろくにベッドを使わないまま
ホテルをチェック・アウトしたのだった。
こういう時に限って、
とても豪華な部屋だったように記憶している。
大きな部屋、窓から見える美しい景色、
フワフワ豪華なベッド。
あの2泊4日って、いったい何だったのだろう。
ロケ初日はロンドンの名所を廻る一日である。
時計台、跳ね橋、宮殿、
初めて目前にする建物の大きさ、
荘厳さ、美しさに圧倒される。
だが、あくまでロケという仕事で来ているのだ。
僕は、手にしたトランプ、カードを
美しく広げる練習に余念がなかった。
宮殿と時計台の前での
前田くんだけのロケが無事に終了。
いよいよ、僕のパートの収録場所である
跳ね橋に向かうことになった。
ここまでで早くも6時間が過ぎていて、
日本だとそろそろ日暮れを
心配し始めたりするのだが、
ロンドンの日没はなんと夜9時過ぎだという。
ロケ車は渋滞のロンドン市街を
跳ね橋へと向かった。
やっと跳ね橋が視界に入ってきた頃、
空が急に暗くなってきた。
ロケ予定地に着いて機材を降ろし始めた頃には、
一気に夕立になってしまった。
「ここのロケは延期して、
 地下街にあるマジック・ショップに
 向かいましょう」
ディレクターの判断で、
ロケ車は再びロンドン中心街へと
Uターンとなった。
はたして、
今回のロンドン・ロケに
僕の出番はあるのだろうか。
そんな不吉な予感を抱かせるように、
激しい雷鳴とともに
大粒の雨がロケ車の窓を流れ落ちた。

(つづく‥‥!?)

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2007-08-26-SUN
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