MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

プロ・マジシャンになって初めての海外旅行は、
ハワイであった。
1983年のことである。
それ以来、あちこちの国に出掛けるようになった。
プロになった当初は、
まさかこれほど海外での仕事ができるとは
夢にも思わなかった。
何度も同じ国に出掛けることは、あまり多くない。
ほとんどが一度だけ行ったことがあるに過ぎない。
だから、本当はさっぱり分からないまま
うわべだけを観てきただけかもしれない。
でも、いつも思い出し、もういちど訪れたいと切に思う、
そんな私の


『楽園』


『ハワイ』
なんせ天候がいい。
あの青空と白い雲のコントラストは忘れられない。
ワイキキ・ビーチとか
ダイヤモンド・ヘッドなどの観光地にも行ったのだが、
どんなだったかまるで覚えていない。
記憶にあるのは青と白の輝く空ばかりだ。
現地在住のジミー吉田さんというマジシャンがいる。
彼のお宅に泊めてもらったことがある。
翌朝、ジミーさんが私たちを起こしながら言う。
「裏の畑に行って、君たちの朝ごはんを穫ってきておくれ」
広い畑に、マンゴーやパパイヤなどのくだものが
数えきれないほど生っていた。
そこから、自分たちの好きなくだものを食べられるだけ
穫ってくるのである。
それらをお皿に盛って、
レモンをかけてモグモグといただいた。
マンゴーとかパパイヤを食べる時、
いつもあのハワイの空と
ジミーさんご夫妻の笑顔を思い出す。

『モナコ』
モンテカルロにグレース・ケリー劇場がある。
とても美しい、お城のような劇場である。
そこに出演することになり、
私たちはモンテカルロに向かった。
美しい街だった。
360度、どこにカメラを向けても絵のような
ショットになる。
カフェでコーヒーなどを飲んでいると、
小さなパンくずを目当てに小鳥たちがやってくる。
人間の存在などおかまいなしに、
テーブルの上で美味しそうにパンくずをついばんでいる。
こちらを見て、
なにやらピーピーと話しかけるような仕草をする。
お隣のご婦人は、
なんとも愛らしいプードルと散歩の途中のようだ。
濃いサングラスをかけ、
エスプレッソのカップを持つ姿は、
まさに映画に出てくる女優さんのように思える。
隣りに座ってぼんやり小鳥を見ていた我々は、
このご婦人の目にはいったいどのように映っていたのやら。
ホテルを出て小さな路地を歩くと、
すぐに大きな広場に出る。
カフェやブティックを眺めながら広場を抜け、
海に向かった階段を降りると、
黄金色に輝く海原を背景にした
グレース・ケリー劇場が見える。
なんだか映画のワン・シーンのように思えたものだ。

『ミラノ』
まだ通貨がリラの時代、
ピザが16000リラなんて聞いてビックリしたものだ。
日本円にすれば1600円ほどで、
驚くには値しなかったのだが。
なんとも美しい靴があちこちの店に陳列されている。
これが安い!
淡いグリーンのハーフ・ブーツが
たったの36000リラ(3600円)!
これは買わないわけにはいかないだろう。
うん?
この輝くばかりのブルーのスリッポン、28000リラ。
これも日本では絶対に手に入らない、買おう。
かくして靴ばかり6足も買ってしまった。
自分のカバンに収まりきらず、
マジックの道具を入れたアルミの大きなカバン、
その道具の中になんとか靴を詰め込むことに成功した。
5、6人も入ればいっぱいの小さな店で、
7000リラのイカスミのパスタを食べた。
今思い出してもヨダレが出る。

私の両親は、岐阜の田舎に健在である。
これまでまったく親孝行をしていない私は、
ここらでドーンと奮発して二人をハワイかモナコか、
あるいはミラノか?
ふたりを楽園にご招待しようと決意し、さっそく帰郷した。
日課である早朝の散歩から帰った父と母、
相変わらず元気だ。
父は趣味にしている書道を始め、
朝の光が差す居間に和紙を広げている。
「お前も習ったらどうじゃ、教えたろか」
母は裏の畑にオクラを摘みに行った。
「摘んでも摘んでも、また生っちょるでなぁ」
母が摘んできたオクラを細かく刻んでしょう油をたらし、
炊きたてのごはんにのっけて食べながら、
父の墨跡を追った。
この二人は、すでに自分たちだけの『楽園』に住んでいる。
私はごはんをおかわりしながら、
二人がいつまでも
この『楽園』の住人でいてほしいと願った。

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2005-10-10-MON

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