MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

前回の「旅芸人」の中で、
寄席で最後に出てくる落語家のことを
『トリ』というのはなぜか?
という疑問を、あのウンチク王の松尾貴史氏に伺いました。
氏のお答えは、
「ある辞書によりますと、
 寄席で、主任格の真打ちは当夜の収入を全部取り、
 芸人達に分けていたところから
 『取り語り』または『真を取る、真取り』と呼ばれ、
 それを略して『トリ』と言われるようになりました」
とのことでありました。
そうかぁ、そうだったのかぁ。
この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。

さて今回のお題はなんだか艶かしい、


『今宵のベッド』


彼女に逢うのは久しぶりだ。
携帯のボタンを押すと、呼び出し音が鳴っている。
はたして彼女は出てくれるのだろうか?
「はい、◯◯です」
なんとも暖かみのある声、
しかもなんだか嬉しそうではないか。
今夜貴女のところに伺いたいのですが、と告げてみる。
OKの返事をもらいたいと心から願うのだが、
「少し、待ってくれますか」
そうだよね、あんなに素敵な貴女だもの、
先約が列をなしているのかもしれない、
そんな心配が胸をよぎる。
だが幸運なことに、
「はい、ではお待ちしてますね。
 で、何時頃こちらに?」
午後3時くらいには着いてしまいそうなのだが、
あまり早くてもいけないだろう。
急いてはことをし損じるというもの、と思いながらも、
「ちょっと早いのだけれど、午後4時くらいには行きます」
素敵になるに違いない夜は、結局は待ちきれない。
なぜこんなにも心ときめくのだろう、
いつもの夕食とその後のくつろぎの夜と違わないはず、
なのに『特別な一夜』を期待してしまう。

のろのろと時が進む。
あれこれ詰め込んだかばんを背負って、
私はエレベーターに乗った。
彼女の待つ7階のボタンを押す、
いよいよ彼女に逢う瞬間がやってきたのだ。
「小石さん、お待ちしてました」
その笑顔に心が溶けてしまうのだよ、
貴女はむじゃきに笑っているだけに違いないのだけれど、
その立ち居振る舞いに
どうしても『特別な一夜』を想ってしまうのだよ。
夜には少しまだ早い。
案内された部屋の窓から見える駅も、
行き交う人々であふれている。
どこかへ向かう人、どこからか訪れた人、
様々な人たちの表情さえも見えるような気がする。
「今夜のディナーはどこがいいかな、
 なにかオススメは?」
まずは温かいお茶をいただきながら、彼女に聞いてみる。
「そうですねぇ、レストランも
 今夜のスペシャル・ディナーがあるそうですし‥‥」
彼女のこの落ち着いた丁寧な受け答え、
なのに少しも他人行儀に思えないのだ。
最近ではあまり聞けない、
美しくたおやかな日本語につい聞き惚れてしまう。

結局、部屋でゆっくりくつろぎながら夕食をということで、
イタリア料理をケータリングしてもらうことになった。
季節野菜のサラダ、
アスパラ・ソテーのパルメザン・チーズがけ、
こうなると赤ワインだろう。
温かいフォカッチャの甘みが口いっぱいに広がる。
そこにワインの渋みが加わって、
早くも幸福感が満ちてくる。
パスタはイカスミを選んだ。
くちびるが少し黒くなって恥ずかしいのだが、
この濃厚な旨味には抵抗できない。
窓の外は暗くなって、
人々の姿ももはや黒いシルエットになってしまった。
しかし夜はまだ始まったばかり、
ワインをもう一杯いただきましょう。
料理もワインも、彼女の部屋でいただくと
なぜか格別な味わいになってしまう。
白いバス・タブにたっぷりのお湯。
身体が温まり、
同時に今日一日の疲れがお湯に溶けてゆくまで、
私は目を閉じていた。
清潔なベッド、適度に柔らかいピロー、
お風呂上がりのワインの酔いも深まって、
私の意識はすぐに遠のいていった。

「小石様、小石様、チェック・アウトは
 10時となっております」
電話で目が覚めた。
昨日あんなに温かく迎えてくれた彼女、
しかし今朝の電話の声はもはや気温0度のようだ。
ホテル、貴女の朝はなんだか冷たい。

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2005-07-08-FRI

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