MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

マジシャンにも眠れない夜が訪れる。
そんな時、僕はアルコールとビデオの力を
借りることにしている。
今夜も眠れそうもない、
今宵のアルコールはワイン、
ビデオはやはりあの人しかないよなぁ・・・。


『ジョージ・カール』


ジョージ・カール、伝説のボードビリアンである。
その芸の凄さ、面白さ、
今となっては映像でしか味わうことができない。
初めて観たのは米国、ラスベガスであった。
もう何十年も前のこと、
あちこちのホテルを渡り歩いてショーを観る、
ただそれだけの日々を続けたことがあった。
そんなゼイタクが若かった私に許されるはずもなかったが、世の中には奇特な人もいるもの、
「金は面倒みるから、
 まずは世界中の面白い芸人を見てきなさいな。
 それであれこれ勉強してから、話は始まるってもんさ」
などという、信じられないような人がいてくれたのだ。
そんなありがたい言葉に全面的に甘えて、
私はラスベガスへと向かった。
毎日、あっちこっちの評判のホテルのショーを観て廻った。一日をフルに活用すれば、
3カ所のショーを楽しむことも可能だった。
宿泊している安ホテルで、遅いお昼を食べる。
その後、どこにも置いてある
ラスベガスのショー案内を読む。
「さて、今日はどこに行って
 どんなショーを観てみるかなぁ」
たくさんのホテルがあり、
実に様々なショーが繰り広げられている。
ものすごくお金を掛けたスペクタクルな出し物もあれば、
駐車場の仮設テントの中での
見せ物ショーのようなものもある。
テントの中のマジック・ショーは、
確か入場料が2ドルであった。
普段着のような薄汚れたジーンズの若者が、
デパートで買って来たようなネタを
つまらなそうに演じていた。
見ていた観客が、しきりにヤジを飛ばしている。
そのうちケンカのようになってしまい、
とてもガッカリしてテントを出てしまったこともあった。
ヘンなショーならば見ない方がいい。
私は慎重にページを繰った。
といっても、別にショーの善し悪しを
識別できる術を知っているわけではない。
自身のカンに頼るしかないのだ。
そのショーのタイトルは『One Of A Kind 』とあった。
ひとつのもの、珍しいもの、という意味らしい。
このタイトルに引かれて、テクテクと徒歩で向かった。
そのホテルはラスベガスでは中くらい、
チケットの料金も高からず安からず
(やはり、ショーの値段というのが、
 いちばんショーの内容を表しているのかもしれない)
まぁまぁの料金だった。
大量のフラフープを廻す女性パフォーマー、
ものすごいテクニックのジャグラー、
座って三味線を弾いているのかなと思いきや、
突然深紅のドレス姿に変身するダンサーなど、
次から次へと息もつかせないような展開のショーだった。
そこに、ジョージ・カールは登場した。
仕掛けが見えているジャグリング、
吹いているうちに壊れてしまうハーモニカ、
ぐるぐる歩いているうちに小さくなっていく等の
芸を繰り広げる。
その面白さはどうにも表現不能だが、
場内はたちまち笑いに満ちた。

後年、ジョージ・カールが
日本のあるテレビ番組のゲストとして
招かれたことがあった。
私は勇んで日本滞在の間の世話役を買って出た。
通訳のFさんと成田空港で待ち受けていると、
あの懐かしいジョージ・カールが姿を現した。
古めかしいカバンをひとつだけ持ち、
少しはにかんだような表情だった。
都内のホテルまで送る車内で、彼の生い立ちを聴いた。
「私はサーカスのテントに捨てられていたらしい。
 そのままサーカスの一団に育てられたよ。
 だから、両親の顔は知らない。
 それからサーカスであれこれ芸を覚えて、
 今まで暮らしてきたのさ」
ホテルに着いて、彼がカバンを開けた。
そこに入っていたのはステージ衣装と帽子だけ、
着替えもなにも入っていなかった。
滞在三日目になって、通訳のFさんが私につぶやいた。
「ねぇ、この人、
 だんだん臭くなってきてるんだけど・・・」
確かに、かなりすえた臭いがしていた。
収録がスタートし、あのジョージ・カールの芸が始まった。
始めは少し戸惑ったような反応だったが、
会場はすぐに笑いに溢れた。
ステージ袖で待機していた私は、
拍手に応えながら戻って来た
ジョージ・カールと思わず抱擁した。
すえた臭いが、なんだか懐かしい匂いに思えた。

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2005-01-16-SUN

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