MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「ドラマチック! 中央線」

10時の新幹線で長野に行くことになった。
ある会社のパーティの余興ゲストとして招かれたたのだ。
まぁ業界用語でいうところの「営業」ってやつですね。
自宅から新宿まで出て、
新宿から中央線で東京駅という行程。
およそ45分くらいを見込んでおけば充分なのだが、
余裕を持って1時間ほど前にタララ〜ンと出掛けた。

問題なく新宿に着いて、中央線に乗り換えた。
だが、
「ただいま中央線は昨夜来からの工事が遅れております。
 したがってダイヤは大幅に乱れております。
 お急ぎのところ‥‥」
中央線の遅れはこれまでも度々あった。
やれやれまたかい、仕方ない総武線に乗り換えて
秋葉原経由で行こう、それでも間に合う。
と思った矢先、
「中央線快速東京行き、ただいま中野駅を出ております」
というアナウンスが流れてきた。
ならばやはり中央線でいきましょう、
ホームにいる人々も待ちの体制に戻ったようだ。
しかし、中野駅を出た割には遅い。
10分近く待っただろうか、
やっとやってきた電車に乗り込んだ。
これならなんとか間に合うなぁ、なんて思いホッとした。
思ったほど混んでもいない。
空いている席に座って
今日の仕事のスケジュール表をながめていた。

ところが、次の停車駅の四谷で
「ただいま、前の列車が止まっています。
 この列車はしばらく当駅で停車します。
 お急ぎの方は各駅停車にお乗り換えを‥‥」
慌てて乗り換えホームに移動するも、
すごい人の波で動きもママならない。
なんとか混み合った各駅停車に乗り換えて東京駅へ。
東京駅も人で溢れていた。
急ぎたいのだが、人並みはノロノロと進むのみ。
それでもなんとか改札にたどり着いてホームに駆け登った。
プシュー、哀れ私の目の前でドアは閉じられた。
中央線のダイヤは乱れていても、
長野新幹線はキッチリ正しく
1分の狂いもなく発車するのだった。

そこでガッカリしている暇など私にはない、
新しく次の新幹線に切り替えて長野を目指さねば!
しかし、切符売り場は長蛇の列。
それでも並んで30分遅れの新幹線に乗ることが
出来るならば、なんとか仕事に間に合う。
「グリーンも指定席も満席です。自由席のみになります」
この際は、とにかく長野に一刻も早く着かねばならぬ。
自由席はごったがえしていた。
ひと人、また人であった。
私同様に、中央線の遅れのため
乗り遅れた人々がこの新幹線に集中してしまっているのだ。

まるで通勤電車並の車内、
しかし席を確保した人々も当然いる。
その人たちは、立っている人々たちの労苦に構わず
弁当を食べ始めたりしていた。
そりゃそうだろう、われ先に並んでやっと確保した席、
さぁ旅の始まり始まり〜。
私は車内の一番後ろの、席と壁のすき間に立っていた。
すると、反対側のすき間に立っていた老夫人が、
なんと突然激しく嘔吐したのだ!

阿鼻叫喚とは、このことだろうか。
弁当を食べていたカップルが叫んだ。
「ちょっと、早くトイレに行けばいいじゃないの!
 私たち、弁当を食べてるんですよ!」
他人の苦しみなど、
この混雑のなかではおもんばかる余裕などないのだった。
老夫人はヨロヨロと何処かへ去って行った。

そのまま30分ほど地獄の住人になっていると、
車掌さんが通りがかった。
人込みをかき分け、なるべく声を掛けられないよう
(そのように感じられる様子だったのだ)急ぎ足である。
しかし、さすがに周りの空気が重いのに気付いたように
歩みが遅くなった。
この機会を逃してはならない。
私は意を決して声を掛けた。
「すいません、実は前の新幹線に乗る予定だったんですが、
 中央線が止まってしまって‥‥」
「中央線」という言葉にピクリと反応した車掌さんは、
「グリーンの○○席が空いているハズです」
とささやくように継げると、
また急ぎ足でなにかの使命を授かっているような表情で
去っていった。

「○号車の○○席」
私は心の中で繰り返しつつヨレヨレと移動した。
その席には夫人が座っていた。
私が席の横に立つと、
「ここの席ですか。
 私は前の新幹線に乗る予定だったのに、
 中央線が止まってしまって、もう大変で‥‥」
と言いつつ、立ち上がって去っていった。

シートに腰を下ろした。
なんという柔らかさだろう、この快適さはなんなのだ。
いきなりの天国であった。
どっこいしょと座ると、
二度と立てないかもしれないほど、疲労感が襲ってきた。

「ナポレオンさん、どこ行くの?」
なんとすぐ横の席でニッコリ微笑んでいる方は、
誰あろう「笑点」でおなじみのK師匠ではないか!
お隣はK師匠の息子さん、
有望天才大物新人落語家のKちゃん!

「へぇ〜、そんなに大変だったんだぁ」
天国の住人の皆さんは、すぐ近くの出来事とはいえ、
やはり地獄の様子などご存知ないのであった。
にわか天国の住人になった私は、
通りがかったワゴン・サービスでコーヒーを買った。
シートに深く沈み込んでコーヒーをいただいていると、
さっきまでの労苦は
まるで遠い彼方の出来事であったようにさえ思えてきた。
快適な時間は、たちまちに過ぎてゆくように思われる。
10数分で長野駅というアナウンスが聞こえてきた。
私はバッグから衣装を引っ張り出し、着替え始めた。
なんせ30分以上遅刻しての会場入りである。
今から着替えておいた方が得策というものだ。
新幹線の中でズボンを脱ぐという行為は
いささか非常識というものであろうが、
一刻の猶予もならない芸人、どうかお許しをいただきたい。
ともかくも、新幹線は長野駅に到着した。
K師匠たちともここでお別れ、
師匠たちは更に遠いところまで旅を続けるのだという。
明るくバイバイをするK師匠、Kちゃんでありました。

改札を出ると業者の方が待っていてくれ、
すぐさまタクシーに乗って会場へと向かった。
控室に着くと、相棒のボナ植木とアシスタントNは
黙々と準備にいそしんでいた。
「よう、ダメだよう、中央線に乗っちゃぁ」
そう言われても、こちらは苦笑いを返すしかない。
ステージに上がると、
お客様たちはずいぶんとご陽気であった。
30分のショーはワイワイと和やかに楽しく終了した。
私はもう何も考えることは出来なかった。
ただ、なんとか仕事に間に合い、
無事に終了したことに安堵していた。

ダイヤ通りに規則正しく正確な日本の鉄道の中で、
中央線は時としてドラマチックである。

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2003-10-05-SUN

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