MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

ノーム・ニールセン

ノーム・ニールセンが来日した。
永くヨーロッパの劇場で長期出演をしていた、
名人中の名人マジシャンである。
パリのクレイジーホースというショウクラブでの
彼の演技は、完成された演出と美しいまでのテクニックで、
マジシャンはもちろん多くの目の肥えた観客の称賛を得た。

そんな神様のようなノーム・ニールセンは、
これまで幾度も来日してくれている。
初来日はもう20年以上も前のこと、
その後も様々なイベントにスペシャル・ゲストとして
迎えられてきた。
もう65才になろうかという現在も、
その輝きは健在である。
ラスベガスで繰りひろげられている
大仕掛けのマジックも、それはそれで楽しいものだ。
しかしノーム・ニールセンの凝縮された演技を見ると、
知らず知らずにため息が出てしまう。

あのクレイジーホース時代から
更に多くの経験が重なり、時間が演技を深めているようだ。
今回一緒のステージを務めながら、
観客が魅了されている様子を袖から眺める幸福なひととき。
翌日、ノーム・ニールセンが
NHKの番組に出演することになり、立ち会いを志願した。
ドライ・リハーサル、カメラ・リハーサルその他あれこれ、
テレビの収録は事前の打ち合わせが多い。
通訳を介してのリハーサルが念入りに時間をかけて行われ、
さていよいよ本収録、良い演技をしていただきたいが
何もできない、ただ祈るのみである。

カメラの前に立ったノーム・ニールセン、
いつものエレガントな
カード・プロダクションから始まった。
独特の滑らかな手のひらの動き、
それにつれてヒラヒラと舞い落ちる
カード、カード、カード。

と、その直後、ノーム・ニールセンの右手の動きが
ぎこちなくなった。
軽やかに宙からわき出るかのようなカードが、
なかなか出てこないのだ。
それはたぶん、ほんのコンマ1、2秒のことだろう。
そのシーンが、
僕にはストップ・モーションのように感じられた。
あのノーム・ニールセンが
苦しそうに顔をゆがめている・・・。
その瞬間が過ぎると、
彼を有名にした白いヴァイオリンの演技まで無事に終了、
大きな拍手が沸いた。

控え室に戻ったノーム・ニールセンが、
「もし必要なら撮り直してもいいが」
と言う。ディレクターに聞いてみると、
「えっ、どこかまずいところがあったんですか? 」
初めて見た人には、
あの瞬間のミスは分からないに違いない。
それを伝えると、
ノーム・ニールセンはやっと安心したようだった。
それでも、悔やんでるように見えた彼に、
「どうか忘れてください」
と告げた。
ノーム・ニールセン、神様がニッコリと笑ってくれた。

NHKの玄関でノーム・ニールセンを見送った帰り道、
色々なことを考えてしまった。
マジックの神様は、失敗に慣れていないのだ。
だから予期しない失敗に思わず表情を歪めてしまったのだ。
平凡以下の僕は、失敗なんて慣れっこだ。
だから失敗のゴマカシは実に上手い。
(すでに自慢するまでの領域に入っている)

その夜、マジックの神様が見せた
苦悶の表情が思い出されてならなかった。
そして、すっかり忘れていたもう一人のマジシャンを
思い出していた。

フレッド・カプス、世界マジックコンテストで
連続グランプリを獲得し、
マジックの王様と称されたマジシャンである。
その技術の高さは奇跡的で、
多くのプロ・アマが盗もうとして
無駄な努力を重ねたほどであった。
なんとなく似たような現象はマネられるのだが、
同じことを見せるのに
フレッド・カプスの2倍以上に時間が掛かってしまう。
それほど彼のテクニックは早く確実で、
あまりに鮮やかなためか、
むしろ簡単そうに見えてしまうのであった。

そのフレッド・カプスが、
やはり日本での番組収録の際、
得意のコインをチャリ〜ンと落としてしまった。
いちばん驚いたのは、フレッド・カプス本人だったのだ。
その瞬間、彼は今までに見せたことのない
困惑の表情になった。
やはり彼にとって、これまでコインは
落ちるはずのないものだったのだ。
(僕は何でもよく落とすので、
 ポケットにいつも予備を入れておく。
 予備の方が多いくらいだ)

それから半年ほど過ぎて、
フレッド・カプスの訃報を聞いた。
ノーム・ニールセンの小さなミス、彼の苦悶の表情を思い、
マジックの神様の健康を祈った。
これからも、もっともっと長く
彼のマジックに酔いたいのだから。

NHKでの収録の翌々日、
再びノーム・ニールセンと共演することができた。
マジックの神様はすっかり元気を取り戻し、
見事な演技を見せてくれた。
嬉しかった。

2002-06-09-SUN

BACK
戻る