MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「愛しのマジシャン」

すみえ先生(日本奇術協会前会長)に、
身延山に連れていってもらった。
ある宿坊でマジックをするとのこと。
初めての経験で、なんか嬉しい。
素晴らしい晴天で、途中に見えた富士山の美しいこと!
タクシーがウネウネと登る参道、
山すそには雪が残っている。
頂上が見えてくるにつれ、空気がシンと冷えてくる。
駅から1時間ほどで、ようやく宿坊に着いた。
日だまりが暖かい。
読経がどこかから聞こえてくる。
離れの一室で遅めの昼食をいただいた。
野菜の煮物や漬物などの精進料理、美味かったなぁ。
すみえ先生が、バッグを開けて支度を始める。
いつものように今日の出しものを僕たちに見せる。
「今日はね、これとこれをやろうと思うんだけど。
 でもこのマジックも不思議なのよ。
 それから、これも持ってきちゃった」
いつものように悩み始め、
いつものように僕たちが出しものを決めたりする。
すみえ先生が先に出て、広間はワイワイと和やかになる。
この「和み」が、
誰にも負けないすみえ先生の魅力なんだな。
プロ・マジシャン、芸人になって
こういう先輩がいてくれるからこそ、
誇りを持てるんだと思う。
しかも、すみえ先生は
普段から愛敬たっぷりのマジシャンなのだ。

「あの人は左手のトランプの技術が上手い。
 きっと相当、練習してるに違いない、エライ!」
なんてウワサされて、ご本人にうかがってみると、
「あたしって左利きなのよ。知らなかった?」
まことにもって、知らぬが仏だったりする。

走っている車(ドイツ車)を見て、
「あら、素敵な車ねぇ。
 もうすぐ買い換えるから、今度はあれにしようっと」
後日、すみえ先生が乗っていらした車は国産車だった。
聞いてみると、
「こないだ見たのと、同じ車よ」
そうです、車は車、大した違いなど、ない。

舞台が終わって、すみえ先生が車でお帰りになります。
いつも自ら運転をされます。
我々は深々と頭を下げて、お見送りします。
ある日、いつものように頭を下げていると、
エンジンの音がこちらに向かってくるような。
頭を上げると、すみえ先生の車が
真っ直ぐに我々の列に向かってくるではありませんか!
「あぶな〜い!!! 」
とっさに後ろに飛び退いて助かった。
先生の車は何事もなかったかのように走り去った。
ウワサによると、過去に数人、轢かれているらしい。

すみえ先生に仕事をいただいて、ある町に向かった。
行きの車内で、僕のジーパンをしげしげと見て、
「言っとくけど、私達は高いギャラをいただいてるのよ。
 だから仕事場には
 ちゃんとした服を着てこなくちゃダメなのよ。
 分かった?」
深く反省した僕でした。
後日、再び先生と同行することになり、
僕らはスーツ姿で駅に向かった。
「ナポさ〜ん、こっちよ〜」
ホームで手を振っているすみえ先生、
上下ともジーンズだった。
「だって私のは高級品だもん」
う〜む。

九州から、すみえ先生の大ファンだという人物が上京、
仕事を依頼したいという。
ついては打ち合わせも兼ねて、
男性の行きつけの料亭で一席もうけたいとのこと。
いつもなら丁重に断るのだが、
重ねての要請に折れて出向くことになった。
男性が持参したというお酒とともに、
しばしの酒宴となった。
料理も終了するころ、
男性の携帯が鳴り、彼は席を立った・・・。
そのまま男性が席に戻ることはなかった。
すみえ先生は見事に食い逃げされてしまったのだ。
「口の悪い友だちはね、
 『普段ダマしてばかりだからバチがあたったのよ』
 なんていうのよ。
 でもね、こんなダマシだったら
 ダマされたほうがいいと思う。
 それに、手品師がこんなのにダマされるなんて
 カッコ悪いもいいとこだもんねぇ」
おい食い逃げ男、
こんな素晴らしい手品師をダマすと3代タタるぞ!

宿坊での舞台が終わり、離れでお茶をいただきました。
一本になって立ち昇る焚き火の煙が見える。
すみえ先生との色々なことを思い出していた。
「しまった、まだこのネタが残ってた」
すみえ先生のおまけマジックがまた始まった。

2002-03-28-THU
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