MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「マジシャン、懺悔する。」

昔むかし、
僕は相棒ボナ植木の実家に
居候(いそうろう)していたのでありました。
実家は錦糸町の駅近くで金庫屋を営む老舗で、
3階建てのビル、僕の部屋は2階の8畳でした。
昼過ぎに起きて朝食兼昼食をいただきます。
お母さんがおかずを手際良く分けてくれ、
僕は無心に食べました。
お母さんは時々お小遣いをくれ、
親父さんはステレオを買ってくれました。幸福でした。

夜になると、
親父さんのウ井スキー
(何故かウイスキーではなくて
 『ウ井スキー』という表記だったような)
を飲んでました。
結果、確実に量が減ります。
で、水を足してバレないようにしておきました。
親父さんがいつもボヤくようになりました。
「最近のニッカは、味がうすくなったなぁ。」

本当にごめんなさい。

パリのエージェントの依頼で、
ドイツのベルリンに行った時のことです。
(ドイツのテレビ番組の収録で、
 「一流のエンターティナーとして選ばれたよ。」
 なんて言われて喜んで行ったのに、
 変なパフォーマーばかりが集められた変な番組だった)
収録後の休日に動物園に行くことになり、
地下鉄に乗りました。
ひと駅だったので一番安いキップを自販機で買いました。
目的の駅で降り、改札を出ました。
そこには大勢の子ども連れがいて、
キップを買っていました。
見るともなく見ていると、ある事実に気付きました。

僕たちが買ったキップは子ども料金だった。

許してくれるよね? 駅長さん。 

マジシャンの悩みはネタにあります。
いつもいつも考えています。
佳いネタがホイホイと定期的に出てくれれば、
こんな素晴らしい職業はありません。
誰かが考えてもくれない、誰かがくれる訳でもない。
ところが、すごい道具、
それも大先輩の使っていた大道具を、
僕たちに無料で下さるという電話が!
すぐさま車で駆けつけ、
しっかりと頂いてまいりました。
さっそく二人であれこれ研究、吟味を重ねました。
しかし残念なことに大き過ぎる、重過ぎる、
そして最も重大な問題は、不思議でないような・・・。
翌日、粗大ゴミに出してしまいました。

あ〜、悪気はないんです。
う〜、がんばってはみたんです。
お〜、すんまっせん! 

大道具を製作することになり、
テレビ局の美術さんに発注しました。
その道具は、大きな空の箱に見えていて
実は奥が2重になっているものでした。
奥の壁には秘密の扉があって、
前の扉が閉まると同時に隠れていた
マジシャンが出てくるというマジックなのでした。
この「秘密の扉」というのが難しい。
細かい細工が必要とされます。
僕らの説明を聞いていた美術スタッフのAさんは、
熱心に耳を傾け帰っていきました。
Aさんは他のスタッフに説明をしたのでしょう。
「このネタはさぁ、
 秘密の扉の細工が難しいねぇ、Bさん。」
「う〜ん、そうだねぇ。
 秘密の扉んとこだけ、Cさんにたのむかぁ? 」
「そうだねぇ、扉んとこはCさんだね。」
「扉はCさんに付けてもらうか。」

このような伝言ゲームがあったのでありましょう。
で、皆さんお気付きですか? 
Cさんに伝えられた依頼は「秘密の扉」ではなく、
ただの「扉」であることを。

「いやぁ、この扉にゃぁ苦労したよ。」
長いキャリアを誇るCさんが
感慨深そうに披露してくれた扉には、
開け閉めしやすいようにちゃんと
ノブが付いていた・・・。

「この際、『Don’t Disturb』の札でも
 掛けとくかぁ? 」
相棒が力なく笑いました。

箱は一度も日の目を見ることなく、
オクラ入りとなりました。
「どうだい? お役に立ったかい? あれ。」
「はい、もうバカ受けで・・・。」

僕らのウソを許してほしい。

ある方のお庭でパーティがありました。
僕の隣りには、某大女優さんがお座りでした。
庭には照明などなく、
テーブル上の料理が良く見えません。
「何かしら、これ? 野菜? 美味しいわ。」

言えなかった。
「大女優さん、
 それ、僕の食べた枝豆のカラなんですけど。」

2001-07-09-MON
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