MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

ナポの海外無茶修行

初の海外旅行は大方の皆さんと同じく、
ハワイでありました。
1983年の夏のことです。
普通の海外旅行と違って、
目的はあくまでアメリカのある団体の主催する
マジック・コンテストに初挑戦することにありました。
観光を楽しむ時間も心の余裕もなく、
珍しく練習ばかりしていました。
ワイキキ・ビーチさえも、
通り掛かりに足首まで漬っておしまいでした。

さて肝心のコンテストの予選が始まりました。
当然ながら日本からの挑戦者は少なく、
アメリカを主にする
外国人マジシャンばかりに囲まれる控え室、
打合せその他は全て英語で行われます。
拙い英語でなんとかクリアーして、出番を待ちます。
隣りのアメリカ人マジシャンが話し掛けてきました。
「このコンテストは、僕にとっては
 初チャレンジになるけど、
 まず優勝は間違いなく僕のはずさ。
 この優勝をステップに次の世界大会にも参加して優勝し、
 近い将来ラスベガスでショーをやるんだ、アッハッハ」
もう既に彼の脳裏にはラスベガスの舞台まで浮かんでいる。
それに引き替え、我らの心を占めているのは、
「なんとか恥をかかない程度の
 反響をいただければ、あぁ嬉しい」

ところが、結果は我らが目出たく予選通過。
あのラスベガスへの夢を熱く語っていたマジシャンは
あっさり予選落ち。
しかもあれ程の自信がどこから来るのか、
予選での演技の冴えないこと。
彼は悪ぶることも落ち込むこともなく、
「今回はちょっと調子が出なかったけど、
 次回のニューオリンズ大会に参加するから、
 そこで優勝、その後世界大会で優勝、
 それからさらに・・・」
めげてない。
つくづく、メンタリティの違いを感ずるのでありました。

アメリカの友人ランス・バートンは、
アメリカ国内のあちこちのコンテストで優勝し、
その実績をひっ提げてス
イスのローザンヌで行われた世界大会で優勝。
その後まもなくラスベガスの
モンテカルロ・ホテルと10年100億円という契約を
勝ち取りました。
まさにアメリカン・ドリームを現実のものとしたのです。
全ての若いマジシャンにとって、
どんな小さなコンテストであっても
大成功への第一歩なのでしょう。
「コンテストで優勝なんて出来れば名誉なことで、
 まぁそこそこのとこまで行くと思うんすけどね、
 へへへ」
てな調子の我々とは、ずいぶん違うなぁ。

スペインの世界コンテストにも参加しました。
5日間程の大会で、
毎朝ホテルから会場に通う毎日を過ごしました。
初日は朝10時に会場の楽屋口に集合とのこと。
ところが10時に行ってみると、
集まっているのは我ら同胞ばかり。
楽屋口のドアは堅くロックされたままで、
人の気配もありません。
11時頃になると、
各国のマジシャンも姿を現し始めました。
更に待ち続けること1時間、
やっとカギを持ったおじさんが登場したのは既に午後。

やっと会場に入れた我々は、
荷物を解いてリハーサルの準備に入りました。
予定では、セッティング出来次第
リハーサルが始まるはずだったのです。
でも、そんなに簡単に始まると思ったら大間違い、
まずはスタッフの皆さんの
ランチ・タイムを優先するのです。
それやこれやでリハの始まりは午後2時。
翌日もまぁ似たような展開で始まったので、
遅まきながらスペイン・タイムというものを実感しました。
さぁ、そうなれば3日目は
そんなスペイン・タイムに対応いたしましょう、
てな相談がまとまり、
日本から参加したマジシャンたちが
ぞろぞろ午後入りしたのも無理からぬことでありましょう。
出迎えたスペイン人のスタッフがつぶやいた一言には
ショックを通り越して笑うしかありませんでした。
「日本人は時間にルーズだ。」

P.S.コンテストの結果は?
    観客との相性が悪かったようで・・・。

2001-05-20-SUN
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