MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

第5回
<捨てる神あれば拾う神あり。>

順風滿帆に、日本が世界に誇るマジシャンになったと、
世間の人は思われるでしょう。
ところが、我々ナポレオンズの過去にも、
哀しく辛い日々があったのでした。
1976年のとある日、
「ワン・ステージ5万で、月に20日仕事するとして
100万、俺が50万、あんたも50万、ワッハッハ。」
(現在の貨幣価値で言えば200万くらい? )
などと言うリーダー、植木の皮算用に乗せられ、
翌77年プロ・デビュー。
その甘い夢が無惨に打ち砕かれるのに、
半年もかかりませんでした。
所属事務所の社長曰く
「ワン・ステージ、5万?、誰が? 」結局2万円。
しかも、月5日もあったでしょうか。
経費を引いて
「俺が3万、あんたも3万、アレェ? 」
「ねぇ、このままじゃ売れないよ。
 もうちょっと普通のマジックは出来ないの?
 今のようなヘンテコリンなのじゃなくて。」
 
我々のギャグ・マジックは、
社長にとって「ヘンテコリン」なものに
過ぎなかったのでした。
仕事先で、
「あんたたちの手品は、タネがバレてるよ。
 (わざとバラしてたんですけど)」
などと言われたりもしました。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
敬愛する松旭斉すみえ先生にご紹介いただいた、
あの永六輔先生がまさに
我々を拾ってくれた神さまだったのです。

永先生は、我々を地方の青年団などの主催するイベントに
連れていってくれたのでした。
「彼らのマジックが分かんない人は、
 センス悪いんですよ! 」
などと紹介してくれ、
無理矢理笑わせたりして
大いに自信を与えていただいたのでした。
また、永先生自らカゴを持って、
観客にお金を投げ入れてもらうのでした。
夜、宿泊先の旅館で、
その「投げ銭」をきっちり3等分するのです。
まるで「永六輔とナポレオンズ一座」なのでした。
その楽しい一時ったら!
芸人の歓びの原点ですよね。

ともかくも、僕らは僕らのセンスを信じて、
やりたいようにやっていけば良いんだ、と思ったのです。
「ヘンテコリン」を、楽しんでくれる人がいました。

また僕の田舎(岐阜)で、
「小石君の故郷に錦を飾る会」を結成していただき、
父母及びあらゆる親族、及び町の人々の前で
公演するという、
夢のような機会まで与えて頂いたのです。

もし、やはり永先生も、
僕らを「ヘンテコリンな手品師だねえ」などと
評価されていたなら、
僕らはいったいどうなっていたことでしょう。
やはりマジックの技術より、人との出会いですよね。
永先生には、心より感謝いたします。
(まだ直接、申し上げられないでいますので、
この場をお借りして)

さて、マインド・ゲームの最高傑作をひとつ。
「まず、頭の中に1から9までのうち、
 好きな数字をひとつ憶えて下さい。
 その数字は言わない、変えない、忘れない。
 
 さて、まずその数字に1を足して、
 出た答えを2倍して。さらにその答えに
 4を足しましょう。
 
 さらにその答えを2で割ってみます。
 
 さぁ最後に、その答えから最初に憶えた数字を
 引いて下さい。
 さぁ、今あなたの頭に残った数字は、
 3でしょう! 」
 
観客の人数が多いほど、
「エェ〜! 」の声が満ちるはずです。

2000-08-05-SAT

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