第3回 手相は自分の心の道路標識。
前回は、基本的な線の読み方、
っていうか、感じ方みたいなことを
教わりましたね。
後は、手相は幾らでも変わっていくっていうことね。
全員 へー!
元気がないとき、人の手も元気がない。
心が萎んでるときは指も萎んでるの。
で、張り切って大きく見せたい、
って人は、しゃきーんって反り返ってるのね。
たとえば身なりがすごくきちんとしていて、
姿勢が真っすぐになってても、
でもちょっと恥ずかしいかもって照れが入ると、
指が曲がっていたりする。
そういうことが手にあらわれるのね。

うん、うん。
おっきなおみかんの箱が届きました。
さあ、自分で美味しそうなみかんを選びます。
酸っぱいおみかん、見分けられるよね?
うん。なんとなくですけど。
その「なんとなく」が大事なの。
多分、これ、美味しそうだぞとか、
これ、ちょっとスカスカかも、とか分かるよね。
箱の中から美味しいおみかん、
酸っぱいおみかん、
スカスカのおみかんが選べる人は
もう手相が半分観れてると思えばいいくらいなの。
これ、お勉強じゃないでしょ。
ほんとですね。
八百屋さんで、魚屋さんでお買い物をする、
やっぱり新鮮でいいものをってなったときに
コツはあるかもしれないけど、
そのことを知らなくても、
何となくでも、選べるじゃないですか。
あー、鮮度が良さそうだぞーって。
手も、「死んだ魚の目」の人の手もあれば、
新鮮な手もあればいろいろだし、
それを持つ一人ひとりのその時々の心境とか
状況が表れてくるから、
そのときによって違うの。
これがまず基本です。
全員 うん!
だから、生きる力、前向きな力、
元気な力が溢れて生きてれば、
生命線はしっかり流れている。
そしてものの考え方がはっきりしてると
頭脳線もはっきりしてる。
ところがたとえば生命線がやったら元気で、
感情線がわりとはっきりしてるんだけど、
頭脳線の流れが弱かったりする人もいる。
元気はいいけど判断力の弱い、
ちょっと困ったちゃんね。
へえ!
ああ、なるほど、なるほど。
で、すごく自分の意見も持ってる、
しっかりした人で、ちゃんと健康なんだけど、
何か傷つきやすくてデリケートで、っていう人は
感情線だけが弱かったりする。
全員 面白ーい!
すごい分かりやすい!
で、ここに職業が書いてあるわけじゃないけど、
運命線ていうのは
何やっていいのか分かんないときは薄いのね。
悪いわけじゃなくて、まだ迷いがある。
ところがやる気が沸き上がってきちゃって、
泉からもうどんどん沸き上がるみたいに、
こうしたーい、あの人に会えるように頑張りたーい、
目標を持って行くぜ、ゴー!
ってなっていくと、線が濃くなっていくの。
変わるんだ、はー。

たとえば目黒川だって多摩川だって、
どんな川だってやっぱり雨が降った後は
滔々と轟々と流れている。
で、洪水になるときもあるよね。
洪水っていうのは細い川に
ものすごい強いエネルギーが
流れ過ぎたときに起こるよね。
手も同じで、それは気詰まりしてるときとか。
大失恋したときなんかは、堤防が決壊して、
自分の知性の堤防とかも決壊して
洪水が起きたりもするよね。
心が干涸びちゃってやる気もなくて
ぼーんやりしてるときは、
強かった線も弱ーくなってったりするの。
それはやっぱり線の流れを細かく観ていくと
その時々の状況が観えてくるんですね。
へえ!
薄くなったりもするんですね‥‥。
そう、薄いときもあるの。
で、薄いときは、
「薄いですね、よくないですね」
っていう判断をするのではなくて、
まだ何をやっていいのか分からない、
ある種、半分空白の状態だと思えばいい。
だって、これから幾らでも変えていけるじゃない?
今の状態だとまだ満足し切ってないから薄いけど、
私は自由時間だよっていうふうに解釈する。
前向きな自由時間として。
うん。で、手相を観るっていうのは、
人に自分は手相が読めますよっていうことを
アピールしたり、当てようとすることではないの。
手の流れ、手相を通して
やっぱり人に元気を与えたりすることで、
意地悪な気持ちとか攻撃の気持ちだとか、
決めつけだとか自己アピールだとかの気持ちで
手相を観て人に言っては絶対いけない。
見せてくださった方が
元気になるためのものであるのね。
だから人に悪いことを言って不安がらせては駄目。
どんなに酔っぱらった席でも、
いい加減な酔っぱらいに言われた一言に、
ひどく傷つくことだってあるでしょう。
「お前、だめそうな手相だよな」とか言われて、
言う人は、言ったことって忘れちゃうんだけど、
人から言われたことってすごく人の心に残るから、
意地悪心では絶対に観てはいけないし、
言ってはいけない。
あくまでも人を応援する手段だっていうふうに
解釈をしてください。

うん、うん!
悪い手相はないのね。
問題のある手相はあるけど。
っていう考え方です。わたしはね。
ああ、なるほど。
で、問題のある手相が出てたとしたら、
それは警告なの。
人生を生きていって、
このまま進んで行ったら
何かこうなっていくかもしれないっていう
自分の不安感が手相に表れてくるのね。
たとえば、この人と付き合ってたら
こうかもしれない、
この仕事、無理にやってたらこうだ、
仕事クビになったらどうしよう、
自分、離婚しそうだ、
嫌われそうな感じがする、
そんな自分のストレスを抱えこんだままのとき、
先回りして警告として
手に表われてるなんらかの雰囲気から
推理すればいい。
この先、このまま行くと、
行き止まりだぞというサインがあるのならば、
その前で気づくことができたらいいわけでしょ。
だからいろんな警告、道路標識が手相に表れている、
誰よりも自分がそのことを知っている。
自分の欠点とか弱点とか問題点とかって、
人に指摘されなくたって
一番自分が分かってるじゃないですか。
なるほどー。
コンプレックスもない、すーっと生きてきて、
人間関係もトラブルがない人と、
感情のアップダウンがすごく大きくて
喜怒哀楽が激しくて、イライラキッキしてる人は
手相が違うのね。
敵と戦った跡がやっぱり手に表れてたりする。
自己葛藤の後とかね。
体も体格もそうだし、手もそうだし、
顔の表情もそうだしね。
そういうものなんですよ。
あら、なんだか1人でペラペラ喋っちゃった。
いや、全然、基本がどういうものかって
すごくよく分かりました!
ねえ、すごくよく分かった。
 
(あしたに、つづきます!)
 
2008-04-16-WED