2007.12.07
「ほぼ日手帳」は、記憶を司る“海馬”のような存在です。(2/2)
「ほぼ日手帳」は愛車感覚に近くて、 気がついたら、愛着が湧いていました。
[ ーー ]
有田さんは、過去に使っていた手帳を 読み返したりすることはありますか?
有田
読み返しますよ。
過去の手帳を見てみると、 その当時に描いていたビジョンを どのくらい実現できたかなといったことを 振り返ることができますから。
だから、僕は、 何年も前の手帳も、ずっと取っておきます。
[ ーー ]
「ほぼ日手帳」のユーザーの方も よく、使い終わった手帳を 取っておくとおっしゃっています。
あとで読み返したりすると面白いんですよね。
[ 有田 ]
そうなんです。
(ご自身が使っておられた手帳をめくりながら、)
たとえば、こういう絵も、 この当時でないと、 描けないないような視点があるんですよね。
手帳は、自分のその年の記録帳ですから、 やっぱり読み返すと面白いですねえ。
[ ーー ]
最後に、今年、「ほぼ日手帳」を使ってみて、 いかがでしたか?
[ 有田 ]
僕は、機能的で、美意識に心地よくて、 愛着を感じられる、 その3つが合わさったところに 定着するものが生まれると思うんです。
機能だけだと、機能の競争の中で いくらでも新しいものが出てきたら 切り替えられるだろうし、 愛着だけあっても、 手帳としては不十分でしょうし、 美意識だけだと、 実際、仕事で使ったりしていると、 不都合なことが多いかもしれないけれど、 その3つのバランスがよいと、 生活の中で定番化していくと思うんです。
そういった意味で、僕にとって 「ほぼ日手帳」は、 お世辞ではなく画期的な商品でした。
[ ーー ]
有田さんの中で、 「ほぼ日手帳」は定番化したということですか。
[ 有田 ]
はい。
「ほぼ日手帳」を持っているのは、 愛車感覚に近くて、 気がついたら、愛着が沸いていました。
鞄にしても、机にしても、 「何となくいいよね」という言葉で 集約されるようなことで、 愛着が沸くものの見えない定義があると思うんですよ。
何となくいいというのは、 多分、本当はものすごく情報量があるからこその 何となくいい、なんです。
何となくいいよね、だからまた使いたいよね、 といった感覚で、 あの店、何かいいから常連になっちゃった といった感覚に近いですね。
「ほぼ日手帳」は、 そういう定番になるような座りの良さがあって、 馴染みが良い。
そして、自分の中で知らないうちに 定番化しているという感覚がありました。
今年使ってみて、来年も 「ほぼ日手帳」を使おうと決めました。
ちなみに、来年は「ヌメ革」のカバーを 使おうと思っています!
有田さん、どうもありがとうございました。
有田さんは、 「カバーにも、いろいろ入るから、 ほんとに、この手帳を1冊だけ持って、 ふらっと出かけることも多いんですよ。」
とおっしゃっていました。
来年も、いろんなところに持ち歩いていって、 「ヌメ革」の手帳が 有田さんの色に変化していってくれたらいいなと 思いました。
それでは、また!
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