2007.09.13
この手帳はぼくの気持ち、ぼくの年輪のように思えます。(2/2)



これで完成しているわけではなく、 改良版を作らなくてはいけないんですけど、 改良版の縮小コピーをして クリップで止めてはさんでおく。
それで見直しながらどんどんなおしていく。
最終的には完成版ができあがったら、 途中段階のページは切って、貼付けて、 封印しちゃうんです。

[ ―― ]
そうすると、最終的に仕上がった、 ごきげんな仕事のページだけが残るんですね。

[ サカキ ]
そう。ごきげんだけになる。
考えている過程もたしかにごきげんなんだけど 途中のものにはそこまで執着しないから ごきげんな正解が出たところは 間をペタッと貼り合わせてしまいましょう、と。
途中のものを残すと、 永遠に使いまわしてしまうんですよ。
ちがうアプローチで考えて、 結論が同じであれば、構わないんだけど、 違う結論のクセして どこぞのアプローチをそのまま流用するのは 最近すごいイヤなんです。
だから仕事の過程は封印してしまいます。



他にも仕事につかえそうな アイデアのような雑談のような走り書きを どんどんしています。
ビリーズブートキャンプは なんで流行ったんだろう、とか ユニクロがバーニーズを買収しようとしているのは どうしてなんだろうとか。
そんなアイデアのような雑談を大勢の前で言った後、 手帳の前で反省するんですよ。
「うそをつかなかったかな」とか、 「大げさに言いすぎやしなかったかな」とか あるいは 「今日しゃべったことを  どこかでしゃべるとしたら  どういうふうにしたら  もっと伝わりやすかったのかなぁ」とか。
そんなことを思いながら、もう一度考えを、 ペンでなぞっていく。
そうすると考えが手帳の上で再結晶していくんですね。
ま、つまんないなと思えば破るなり、 ページを貼るなりしてしまいます。
そうすると、メモも ごきげんなことしか、残らなくなる。

この見開き1ページの分量って もしかしたら、すごくよかったのかも知れないんだよね。
ばーっと見て全体が一挙に把握できて ぼくの中では、ここで書ききれなくなったらもう それ以上膨らましても仕方がないってことにしています。
考えをもっと広げていこうと思ったら、 別のページに写して、広げてみる。
そこで広がるものと、 それ以上広がらないものが出てくるんですよね。


3年分の手帳をあらためて見直すと、 この手帳はぼくの気持ち、 ぼくの年輪のように思えますね。

一昨年は、仕事は仕事、遊びは遊びで、 サカキシンイチロウの生活の中に 仕事がにじみ出てこない努力を一所懸命した年。

去年は、仕事に負けた年。

今年は、仕事をする自分も ちょっと好きになってみようかな、 って思っているってことがわかる。

こうやって見ながら楽しめるというのもいいよね。
未完成品を与えられて わたしの物として完成品になっていく。
そういうところがこの手帳を使う楽しさだと思います。


サカキさん、どうもありがとうございました!
手帳にいろいろなものを貼りつつ、 使っていないページは切りとって、 残った部分を貼り合わせてしまうというのは サカキさんオリジナルの使い方ですね。
「この手帳はぼくの気持ち、  ぼくの年輪のように思えますね」という言葉は スクラップを貼って膨らんでいたり、 使っていないページを切ってしまって 薄くなっている手帳の様子を ずばり言い表しているなぁと思ってしまいました。

そして、2008年に使う手帳として サカキさんが選んだカバーは「ミニドット」
どうか、仕事もプライベートも ごきげんな手帳となりますように!



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