2020-08-14

・義務として着なきゃいけない制服は、なんだかあんまりうれしくないものです。それは、社会的な服装であるスーツとか礼服も同じで、着なきゃならないと思うと、なんだかなぁとなります。でも、じぶんで着たくて着る制服や礼服、スーツには、着る「たのしみ」があるんですよね。

小学校で習う文部省唱歌みたいな歌は、ぼくはほんとに大嫌いでした。どの曲も、妙に古臭いことばづかいで、メロディはたいてい悲しげで、明るそうにみせていても暗くなる歌ばかりでした。それでも、ずっと時間が経っておとなになると、その時期に聞いていた歌が、なんだか胸に迫って、夜中にひとりで聴いてみたくなったりもする。ま、大人になると切なさも「たのしみ」ですからね。

親しいともだちと、じぶんのプライベートな秘密を、そこはかとなく打ち明け合うのは「たのしみ」ですよね。しかし、赤の他人に、人のプライベートな事情を、 暴き立てられることは、だれでも絶対に嫌うことです。

好きでやること、自由な意思でやることは、すべて「たのしみ」のなかに入るけれど、同じことを義務や命令でやるとなると、「たのしみ」の要素は、ほぼ消えてしまうし、時には苦痛であったりもします。ぼくは釣りほどおもしろいものはないと思ってますが、これだって「おまえは毎日釣りをしろ」と言われて、命令で釣りをさせられることになったら、逃げ出したくなるにちがいないです。

「じぶんがやりたくてやること」は、基本的に、だいたいおもしろいし、「たのしみ」になる。そして「やらされる」と感じることは、みな苦痛です。こう言ってしまうと、身もふたもないのですが、結局、「ぜんぶ主観じゃないっすか!」です。主観というのは、じぶんの気持ちですよね。じぶんの気持ちを、どう見つめてコントロールできるか。なんだか、「あ、そっか。やっぱり」そうなんですねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。世界には、全生きものの数だけ「主観」があるのであった。

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