そういうことをずっと考えてますね。
[糸井]
たぶん、そういう考え方は、岩田さんも似てますね。
[岩田]
たぶん似てます。というのは、なにができるかということを考えたときけっきょく最後は、時間で制約されているから。
たとえば、仕事について考えると、これまでは、私が京都にいる場合は、京都にいる人にしか会えなかったわけです。
だから、京都にいる人だけを思い浮かべながら
「誰と会えば、いい時間になるか?」って考えていればよかったんですけど、いまは、地球の裏側にいる人とも、日常的にやり取りできるようになっちゃった。
ところが「時間」の制限は残っている。
つまり、誰とやり取りするかという選択肢は以前よりも飛躍的に増えたけど、何十人、何百人と、やり取りできるわけではない。
[糸井]
そうですね。
[岩田]
だとしたら、どの選択肢を選んだら、あとで後悔しないで済むんだろう?
って思うんですよね。
あの、後悔って、するに決まってますけど、できることならしたくないというか、
「あのときああしておけばよかった」ということが、ちょっとでも減ったらいいなと思ってるんです。
[糸井]
それは、いわゆる、
「効率よく働きましょう」というような、真面目な意味ばかりではないんだよね。
[岩田]
そうじゃないです。
すごくくだらないことをぼんやり考える時間だって絶対にムダじゃないですからね。
[梅田]
むしろそういう「ムダっぽい時間」を積極的に作るということのほうが、最近は、難しくなっているというか。
[糸井]
ああ、そうですね。
[梅田]
放っておくと「意味のあること」をずっとやり続けてしまいますからね。
「いままでに意味があると言われていたこと」とか。
[糸井]
なるほど、なるほど。
[梅田]
だから、わざとそれをやらないようにするとか、そういうふうにしないと、自分にとっての「いい時間」を過ごすのは難しいような気がします。
(続きます)
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